風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

人間万事塞翁が馬

2015年11月05日 22時58分32秒 | 風竿日記

今年の5月からずっと腰痛に悩まされていた。

時々ゴルフの後など、歩けなくなったりした。

少し座って休むと何事もなくまた歩けたので・・・・坐骨神経痛と自分で勝手に決め込んでいたが、症状としては脊柱間狭窄症の疑いもあるということ・・・・。

7月頃から、立ったり座ったりする時には、とうとう腰からお尻にかけて、ピリリと気持ちの悪い電流のような痛みが走るようになり、それが膝の後ろ側にまで来始めたのだ。

それゆえに、体を後ろに反らすのがとても大変になってしまったのである。

ありとあらゆる治療を試みてきたのだが、なかなか良くはならなかった。

そんな中でいつも通う武雄川良整骨院のテーピングは効果ありであった。

それでも腰の重苦しさはとれなかった。

病院に行けば直ぐ手術と言われるのが嫌で、色々と一人思い悩んでいたんである。

さて、10月の仕事の忙しさは最上級であったが、腰痛と闘いながら10支部の研修会をこなしていた。

DVDを流したり、司会をしたりして研修会の仕切りをやらねばならないのだが、その途中で歩けなくなることまであった。

月末近くは疲れもピークであったが、たけお法人会始まって以来の会員様向けゴルフコンペを開催することになっていて、私も無理を押して出場することに・・・。

前日整体に行き、テーピングをして頂き、さらには腰痛コルセットを纏い、幸い18ホール、何とか回ることができた。

96のスコアはフルスイングの出来ない腰痛の状態からすれば自分を誉めてあげたいほどであったが、その後も、表彰式・懇親会と進行役を務めねばならず、ずっと立ちづくめ・・・・。

自分が可哀想と自己憐憫する暇もなく、スタッフとの慰労会もこなして深夜にヘロヘロ帰宅。


折り悪く、翌日からは県内の法人会事務局の年に一度の視察研修慰安旅行で沖縄へ

早朝から、腰痛を押しての強行軍であった。

沖縄は話題の普天間基地問題の最中であったが、街中は立派な建物ばかり

道路も素晴らしく整備されていて、国際観光都市の様相であった。国の予算が手厚いのは仕方が無いにしても、活気に溢れていた。

観光客は中国人が圧倒的に多く、嘉手納基地を眺める「道の駅嘉手納」ではたくさんの中国人が基地を観ていた。

どんな気持ちなのか、そこに不思議な調和を感じたものだ。

 

さて、前日のゴルフで相当歩いたのだが、沖縄でも連日相当の距離を歩かされた。

首里城から沖縄ワールドテーマパーク、国際通り散策、美ら海水族館、フラワーガーデン、さらに空港でも歩け歩けである。

都合ゆうに6キロは歩いたことだろう。

そして瓢箪から駒、いつの間にか腰痛、とりわけ背面の嫌なピリピリが本当にいつの間にか消えうせていた。

あれだけ苦しんだ痛みが消え去ってくれたのだ。

これは思わぬ収穫と喜んだものだ。

こんなに嬉しいことはない。

相当な距離を歩いたからであろう。

腰痛から断念すら考えたゴルフと旅行

バスから降りるときは、「また歩くのか・・・」と顔をしかめていたのにである。

 

人生は何が幸いするか判らぬものだ。

沖縄から帰ると有田町ポーセリングパークのドイツビール祭りでのライブの仕事が待っていた。

腰痛が消えたので2ステージを愉しく務めることができた。

29日から続く強行軍にも、好きなビートルズを奏でられての喜びが心をウキウキさせた。

ステージが終ると、メンバーが嬉野で反省会をやろうと切り出した。とんでもない、早く帰りたいほど疲れていたのだが、

言い出したら聞かない男なので、疲れた身体を引きずって無理やり付き合うことにした。

その時にちょっと寒かったのだが、メンバーとの語らいは愉しく気にもならなかった。

翌日からは仕事。

喉が酷く痛かったので、

「ああ、しまった!」

とばかりに病院へ行くと、やはり風邪をひいていた。

3日の文化の日は悪寒が酷く、一日中寝る羽目になった。

4日の仕事も昼から帰らせてもらった。早退して抗生物質を投薬し、ずっとベッドで只管眠ったのだが・・・・

一向によくはならなかった。

そして、今日も具合が悪い。

とまあ、馬鹿な男の話なのだが、

人生は糾える縄の如し

いいことも悪いことも一枚の皮の上の出来事なんである。

そんなここ数日でありました。あーあ。

人間万事塞翁が馬なんである。


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