横綱大鵬がなくなられた。
私の祖母が大好きだった力士
当時、巨人・大鵬・玉子焼きといわれ、絶大な人気を誇った力士
樺太・・・今のサハリンに生まれ、貧しい少年期を経て角界入り
ライバル柏戸と共に横綱に昇進して拍鵬時代を築いた昭和の大横綱である。
白系ロシア人を父に持つ今で言うハーフだったから、美男子でもあった。
相手が動くまで、磐石の体勢で待つ相撲の取り口は、真の横綱相撲であった。
どんな型にも対応できるというバランスの取れた横綱
心技体を最高に兼ね備えた上に美男子という稀代の名横綱であった。
女である、我がばあちゃんがファンになったのも判る気がする。
さて、型通りの大鵬論はこれくらいにして、実は大鵬の師匠の二所の関親方は元の四股名を「佐賀の花」といい、勿論佐賀県出身力士なんである。
そしてその弟さんは北村さんと仰って、鹿島市の芝居小屋「鹿島座」を経営しておられた。
そんなこともあって、鹿島には大鵬ファンが圧倒的に多かった。
駄菓子やさんで、大鵬のブロマイドが一番売れたのだそうな。
さもありなん・・・私も買っていたのだから。
さて、西鉄・大鵬・玉子焼きとタイトルをつけたのは・・・・、
当時私は、大の西鉄ライオンズファンだったから、新聞の造語で「巨人・大鵬・玉子焼き」のキャッチコピーが出回った時に、私だけは西鉄に言い換えていたんである。
九州に住んでいて、巨人ファンなどと・・・ありえんと当時はそう思っていたし、巨人ファンなどという輩は仲間はずれにされたくらいに、圧倒的に西鉄ライオンズだったんである。
高倉・仰木・豊田・大下・中西・関口・玉造・和田・稲尾
日本シリーズ宿敵巨人に三連敗しての四連勝は痛快そのものであった。
今でもオーダーが言えるくらいの私の心酔度である。
往年の名勝負がYoutubeに・・・・・
<!-- 大鵬の天皇賜杯 -->
さて、努力家だった大鵬は、日本赤十字社に血液運搬車を毎年2台づつ寄贈していた話はあまり知られていない。
その台数は100台にも達したらしく、額にすれば優に一億円を超えることになろう。
大鵬の人柄を示すエピソード、実に素晴らしいことである。
幕内優勝通算32回という記録はいまだに破られていない。
そんな、「西鉄・大鵬・玉子焼き」の一角が旅立たれた。
どんどん昭和が遠くなっていく。
変な趣味はない。ベースボールマガジン社から本日 大鵬追悼号刊行されます。(佐賀は2月2日らしい)日経文庫(私の履歴書)も読み直し、努力の人であり、心のきれいな人であった事を再確認。西鉄に酔ったし、佐賀の花・初代麒麟児などなど・・・
今後ともよろしくお願いします。