今日からまた再び修行の日々が始まった。
営業店の若い職員の皆さんと、新規のお取引先の開拓行脚のノルマを自らに課したのである。
新規開拓訪問は、信用金庫人としての原点
歳をとっても、忘れたものを思い出すために、いつもこの出発点に戻らなければならないのである。
午前中に6先
午後から10先ほど回らせて頂いた。
午前の部の最後にお寄りしたある事務所
SSKの人員整理に遭い、30年前に小さな火力発電のメンテナンスの会社を興されて、苦労に苦労を重ねられた企業さん
ご苦労の核心に入ると、思わずこちらも身を乗り出してしまう。
何か私たちでお手伝い出来ることはないか・・・・・。
銀行で充分に事足りていらっしゃるのだが、何か信用金庫でもお役に立てることはないのか・・・・・。
自問自答しながら、経理部長さんのお話に注意深く耳を傾ける。
お客様が会話にのってこられたら、エンジンがかかったのと同じ。
会話が弾むように、雰囲気を壊さないように、相槌を打って話についていけばよいのだ。
良いのだというが、テクニックではいけない。
会話は生き物だから、全身全霊で相手様と向き合うのは当然の上でのこと。
間違っても自分の都合や、お取引のお願いなどしたらぶち壊した。
ましてや、浅い知識で知ったかぶりなど論外
勉強もしてない浅知恵のメッキなどすぐ剥がれてしまうものだ。
技術系の人にはそのお方の得意の技術の話を
営業系の人には営業の苦労話を聞けば
心を開いてくださるものだ。
座談の名手はすべからく聞き上手なんである。
やがて・・・・
そして帯同してくれた若い職員が驚くほどに会話が弾んだ挙句に、
「ハイ、それでは取引をお願いしましょう。何から始めようか・・・。」
と、絵に描いたような新規開拓が出来て、いやあ、昼ごはんの美味しいこと。
午後からはなかなか社長さんと会えない。
きちんとアポを取れば別だが、やはり新規訪問は朝がいいようだ。
3軒くらい社長さんと会えずに、足取りが重くなる。
段々と予定の時間が迫る中、もう一軒とお互いの意見が一致して
そして神様と出会ったのであった。
船越町まで足を伸ばしたのが大正解
「有言会社TOMO HOUSE」という会社の入り口にこんな看板が
あれっ、俺の名前が白抜きで書いてある・・・と思いつつ中へ
そこには、ジャズミュージシャンと見間違うようなカッコいい紳士が
その人が松本智社長さんなのでありました。
設計施工の会社TOMO HOUSEさんは、今まで会った事のないテイストのかっこいい初老の建築会社社長さんなのであった。
一言では表せない何かを強く感じるままに、至福の時間が私に訪れたのである。
一言で云うと強いオーラを発しておられる。
名刺を渡すときに自分の名前をすかさずアピール
「民家再生」の尾形民生です・・・・。」
社長さんがニヤリと笑った・・・・・。 心を開いて下さったかも・・・。
以下は匠の神様の言葉
その人が住んでみて、嬉しいと悦ぶ家を、その人の生きかた、その人のご予算に併せて創らせていただく。
設計が出来上がると完全複製の模型を作って差し上げる。
家が完成すると、ちゃんと本に装丁した新築住宅の写真集をプレゼントする。
家は私の作品である。
約半分のお客様が、私の薦める薪ストーヴをリビングに据えつけられる。
薪ストーヴは暖かい以上に団欒を演出してくれる。
建築設計は何よりも機能美である。間の取りかた、究極はデザインである。
家は低く、庇は長く。
木は呼吸している。生きている。そして年月が経つにつれ味わいが出てくる。
土地を平らにしようとするが、それは間違い。土地の形状に合わせて家を建てれば強固な家ができるものだ。
環境と同化し自然に馴染む家を建ててきた。海沿いにはそんな家を、山沿いにはそんな家を
営業はこのかたやったことがない。ご縁のあったお方が次々にお客様を連れておみえになる。
で、仕事が切れたことがない。これは本当に有難い。
これまで26年やってきて、今まで500棟以上の家を建てたのだが、一度もクレームがないのが、私の自慢でありプライドになった。
次から次へと宝石のような珠玉の言葉が社長の口から語られて、私はまるで豊饒の音楽を聴いているかのように、うっとりと聞き惚れていた。
そして過去の作品の写真集をつぶさに、丁寧に解説付きで見せていただくことになった。
それが・・・・目からウロコの家ばかりなんである。「
そこで、ハタと気がついた。
ある銀行の金利攻勢に追いまくられ、嫌になっていた私であるが
付加価値という伝家の宝刀があることに、改めて気付かされたのである。
営業はしなくても、クチコミで仕事が出来るような、感動を与える仕事をしなくてはならないと、心から思わされた。
「社長、今日のことブログに書いてもいいですか・・・・。」
「人生の記録にと感動したことや日常のこと、仕事のこと、趣味のことをブログに書き刻んでいるのです。」
「ああ、いいよ・・・・。」
薪ストーヴのように暖かい、心の広い社長さんであった。
その社長さんが最も影響を受けたという、浜野アンコウ氏の文章をご披露しておきたい。
因みに私も浜野氏は大好きなお方の一人、一度お会いして呑んだこともあります。
20年くらい前、「沖縄発、本土行き」というプロジェクトだったかなぁ・・・。
(極道)になれ 浜野安弘
この社会のオルタナテイブは、さまざまな(極道)の中から生まれてくるであろう。
何かのために何かをするのではなく、自分の生命活動として駆りたてられ、焼きつけられ、血が熱くなる生活を持つことは、近代を脱出するために欠かすことができない。
(極道)とは、道を極めるという意味である。
自分の駆りたてられた世界に道をきわめるまで 執着し、完全に満足のいくまでやりぬくのである。
道を極める途上で、必ずさまざまな自己批判と成熟の手ざわりがあるであろう。
その道を知ってる者がみれば、本物とニセモノがはっきり見えてくるだろう。
外見だけのみてくれがいかにあさましいか、わかってくるだろう。
スジを通すことの意味がみえてくるだろう。
そして必ず、自分だけの肉体から、新しい概念やら、
新しい道具をみつけだすであろう。
自分の不満の実体がどこにあるかもわかってきて、自分の納得のいく道具を開発するだろう。
極道の作った道具や商品にはすごみがある。存在感がある。実在している。
それは同じ道を後からたどるものにとって価値ある、すぐれた商品になるだろう。
松本社長、感動的なご縁をありがとうございました。、何か信用金庫でお役に立てることがありましたら、私を思い出して下さい。
そう申し上げてエアコンもないのに涼しいという不思議な事務所を後にして、夕暮れの中を若い職員さんと帰って行ったのでありました。
心の中にほっこりした何かを感じながらである。
今日もいい、一日でありました。