21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

働かざる者、食うべからず

2011年11月13日 21時46分53秒 | Weblog
真理だと思う。

食事をしてもよいのは、働いている人だけだ。
働かない人を甘やかして、食事を与えてしまうのは良くない。
生活保護の不正受給や、NEETの問題がある。

ただ、「仕事・労働」の定義は、気をつけなければいけない。

1000年前と現代は違う。
水を汲み、薪を拾い、畑を耕したり、米を作ることだけが仕事・労働じゃない。

そして、1000年前から「家事」は労働である。

収穫、収入があること、お金をもらえることだけが仕事じゃない。


日本では「仕事・労働」の定義が狭すぎる。
そしてその狭い「仕事・労働」の定義に若者を押し込もうとするために、社会に閉塞感がある。


日本は、

自動車を発明しなかった、
飛行機を発明しなかった、
電話を発明しなかった、
インターネットを発明しなかった、
パソコンも発明しなかった。
OS開発にも出遅れ、
facebookやskype、twitterも発明していない。
相対性理論も発見していないし、
日本人は、月面を歩いていないし、
ポアンカレ予想も解いていない。そして、ポアンカレ予想を立てたのも日本人じゃない。
ペニシリンも発見せず、
写真も発明していない。
「モナリザ」も描いていないし、
「ベニスの商人」も書いていない。最近だと「ハリー・ポッター」を書いたのも日本人じゃない。





「働かざる者、食うべからず」って言葉は正しい。
ただ、「仕事・労働」の定義が問題だ。

過去しか知らない一部の人達が、「今はまだ存在しないモノ」を作ろうとしている方々を見て、「働いている人」「働いていない人」と決めつけるのは、間違っている。

日本人のノーベル賞受賞者も増えてきた。ただ、ほとんどは「海外留学中の研究」が受賞対象だ。



学生の本分は学業であり、科学者の本分は研究である。
しかし、知識を暗記することだけが学業ではないし、結果が分かっていることだけを検証するのが研究ではない。




逆に、「仕事・労働」と呼んでよいのか、疑問のある仕事もある。
例えば、九州電力関連会社の社員は、一般市民のふりをして、アンケートに回答していた。
オリンパスの社長と野村證券OBは、損失の「飛ばし」をしていた。
東京電力の社員は、原発損害賠償請求の書類を複雑で分かりにくいものにした。そして分量を増やした。
そして、農産物の生産地を偽装したり、賞味期限切れの食品をパッケージだけ変えて販売する会社もあった。高齢者の1人暮らしの家に、不要な換気扇を十何個と取り付ける悪徳業者もいた。きっと今でも、捕まっていないだけで、同じようなことをしている業者があるだろう。

そんな「仕事」をされるよりも、生活保護を不正受給される方が社会への悪影響が少ない。
そう言えば、北九州市には「生活保護申請用紙」を受給希望者から取り上げて餓死させる、って「仕事」があった気がする。


いろいろ考えてみると、
親のすねをかじっているだけのNEETや引籠りの方が、親の会社の金を100億円以上も使い込んだ大王製紙の元・会長よりはマシか。

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