21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

父性の時代??

2008年02月27日 23時42分31秒 | Weblog
 80年代の終わりから、教育界には「パワーがモノを言う」父性の時代があった。

不登校児は、力にものを言わせて、布団ごと学校に運ばれて行った。もちろん、タダでさえ学校に来たくなかった不登校児は制服を着ていない上、教科書も持っていないわけだから、恥ずかしくて仕方ない。数日もそんなことを続けておけば、どんな不登校児だって、子供である以上、体力で勝てないのだから、恥をかきたくなければ、自分から学校に行かざるを得なくなる。もしくは、自殺するか、家出し行方不明になるかだ。とりあえず、「不登校」の問題はなくなる。当時、子供が自殺しても裁判に訴える親はいなかったし、失踪した子供の責任も学校には無かった。学校にとってみれば、問題が解決したことになるわけだ。

学級崩壊対策でも腕力がモノを言った。竹刀を持った教師が校門に立ち、制服のチェックをして小さな個性も抹殺した。教室は恐怖で支配され、小さな私語も禁止され、生徒は相互に助け合えなくなった。もちろん協力して、勉強することも出来なくなったが、学級崩壊を起こすこともできなくなった。また、問題を個々した生徒への制裁も存在した。肉体的な体罰もあったが、精神的な圧力もあった。前年クラスで学級崩壊を起こした生徒は、記録に残り、翌年に制裁を受けることもあった。もちろん、その年に偶然そのクラスに入った生徒達は、教師には(体力的にも)対抗できない以上、連帯責任を取らされてしまう怒りをクラスメイトに向けることになる。また制裁として、体育の授業は「基礎体力作り」の名目で、陸上競技の練習になる。教師が良いと言うまで、長距離を走らされ続け、また短距離ダッシュを何本も続けさせられる。これが、走り続けても楽しいサッカー・バスケットボールの試合より、どれだけ「基礎体力作り」の役に立つのかは不明だった。


それに対し、最近は「母性の時代」だ。優しさで包み込み、個性を認める。統制を体現していた制服は廃止され、法律以上に厳しい校則は無くなり、不登校が「存在」できるようになった。学級崩壊の原因を幼い児童の性悪性に求める時代が終わり、学級崩壊の原因は教育学部で専門知識を得たはずの教師の力量不足だと認識されるようになった。体罰=教育の方程式は無くなった。力が全ての時代が終わり、話し合いで問題を解決する時代が来た。 それが良いことなのか悪いことなのか、私には分からない。
 ただ21世紀、日本が世界を引っ張っていこうとすれば、個性・独自性の強い人材を育てなければならないことは確かだ。もし、アメリカの中学校がビル・ゲイツに体育で統制道理に活動することを強制していて、自殺に追い込んでしまっていれば、今、IT独裁企業マイクロソフトは存在しない。

 現在でも「父性の時代」に取り残されている福井県では、「迫力」のある体育会系教師が優遇されている。10年後、道州制が導入されたとき、福井県が他県に吸収されない保証はどこにもない。。。。

 「海図の無い航海」と言われる21世紀の経済情勢、規則に従うだけの、知識があるだけの「人手」はいらない。挑戦していける「人材」が欲しい。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。