Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

闇の中をガイドと歩く

2011-04-27 | フォルテネージュ

ビオダンサのヴィヴェンシア(エクササイズ)を経験して、
ふと、めぐってきた私の空想









家から、最寄りの駅まで、
「誰か」のエスコートを受けながら、
私自身は眼をつぶって、行くことができるかしら?



一瞬たりとも、眼を開けない
私の手を取って、ガイドしてくれる、その「誰か」に、完全に委ねて進むの

その「誰か」は、足元の段差やすれ違う人々や信号なんかについて、注意してくれるから、
私は、ただ、信頼して、

「誰か」を信頼した自分自身をも信頼して、

闇の中を、歩み続けることができるだろうか?







目の見える私たちが、完全に眼をつぶって歩くことは、
たとえ、安全な空間の中にあっても、勇気のいることだから、

やっぱり、

そのガイドが誰かってことによる?
家族や、親友や、心から愛する人であれば、大丈夫じゃない?って、そう思う?

うん、確かにそうだよね









でも、私の最近の変化はね、
たとえると、委ねても大丈夫だと思える人の範囲が広がっているって感じなの


極端に言うと、

こんな発想が浮かんでそれを実行しようとしたとき、
目の前に現れた人ならば、誰だって、信頼に価するんじゃないかと、思えるんだ


私たちが、何かができると思ったときには、
それを可能にする誰かがいることを、大きな自分が知っているからこそ、思いつく


だから、奇跡のタイミングでその役割を担おうとしてくれる人がいれば、
ただ、もう、それだけで、充分すぎるほどの、条件を、満たしているって思う


そして、究極を言えば、
ガイドは、必ずしも、人の形をした生命体でなくても、良いのかもしれないんだ・・・









言うまでもなく、
そんな実験をしなくても、
私たちは日常生活で、それと同様の場面に、いくつも遭遇しているんだよね

 

 

 


                            ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

                               



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。