人として、喜びの感情がとても大切だってことは、皆の前提になってるとして、
次のステップは、
何に喜びを感じるかってこと
これ、ホントに大事だよね
私が過去たくさん接していた非行少年達はね、
バイクですっ飛ばすとか、夜、仲間とたむろするとか、女の子なら服とか化粧品とか買うとか
でも、
無免許で深夜に爆音立てたら、事故も起こるし、安眠妨害だし、
夜、公園で用事もないのに溜まってたら、事件に巻き込まれるかも知れないし、
お金ないのに欲しい気持ちが募って、万引きしちゃう子なんて、数知れず・・
こういう経験をすると、
楽しいことってのは、人に迷惑をかけたり傷つけることなしでは、できないような錯覚に陥っちゃう
そして、その錯覚も自分で自分の人生に仕掛けたトリックなんだけど
今のスターチルドレンたちがどうだか分からないんだけど、
私たちは、若いとき、「周囲の赤の他人のことなんてどーでもいい」って思う段階がある
自分が他人とつながっているなんて、思いも寄らないから
でも、年を重ねてくると、
なんだか、うすうす感じてくるから、
自分のしたことで誰かを傷つけたら、それは、自分が傷つくのと同じ痛みが実際あって、
今まで、どーでも良かった他人が、どーでもよくなくなるんだ
私はね、小学生のとき、道徳の時間に、
皆と仲良くしましょうとか、
人に親切にしましょうとか、言われると、
「けっ!かったるいこと言ってんじゃねえよ。世の中、弱肉強食なんだよ!!」て、マジで思ってたから、
根っからのアウトローだったけど、
だからこそ、今、ものすごく思う
ある人が他人をどう扱っているかを見れば、その人が自分をどう扱っているかが分かる
今の私の喜びは、
まずは自分を表現すること
そのことで人が喜んでくれたら、もう、最高に嬉しい
それから、人の表現をサポートすること
誰かの話を聞くってことは、私が自然にできる特技なんだ
サービス精神旺盛だから、
つい、人を喜ばせたくなるんだけど、
そういうときは、ちょっと時間をおいて、フォーカスを自分に合わせ直すの
自分が嬉しくなるヴィジョンや言葉を思い描くの
もし、自分が、自己犠牲して、人を喜ばせてるって感じたら、
そのことを誠実に相手に伝える
そうすると、たいてい、相手は、
私がビックリするような仏様の慈愛を示して分かってくれたり、
無理のない第3の方法が自然と浮かび上がってきたりする
最近は、そんなことが多いかなって思うよ
ハートサポートサロン「フォルテネージュ」