Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

私が喜びを感じること

2011-04-09 | フォルテネージュ


人として、喜びの感情がとても大切だってことは、皆の前提になってるとして、
次のステップは、
何に喜びを感じるかってこと

これ、ホントに大事だよね




私が過去たくさん接していた非行少年達はね、
バイクですっ飛ばすとか、夜、仲間とたむろするとか、女の子なら服とか化粧品とか買うとか

でも、
無免許で深夜に爆音立てたら、事故も起こるし、安眠妨害だし、
夜、公園で用事もないのに溜まってたら、事件に巻き込まれるかも知れないし、
お金ないのに欲しい気持ちが募って、万引きしちゃう子なんて、数知れず・・


こういう経験をすると、
楽しいことってのは、人に迷惑をかけたり傷つけることなしでは、できないような錯覚に陥っちゃう

そして、その錯覚も自分で自分の人生に仕掛けたトリックなんだけど






今のスターチルドレンたちがどうだか分からないんだけど、
私たちは、若いとき、「周囲の赤の他人のことなんてどーでもいい」って思う段階がある

自分が他人とつながっているなんて、思いも寄らないから

でも、年を重ねてくると、

なんだか、うすうす感じてくるから、
自分のしたことで誰かを傷つけたら、それは、自分が傷つくのと同じ痛みが実際あって、

今まで、どーでも良かった他人が、どーでもよくなくなるんだ





 

私はね、小学生のとき、道徳の時間に、

皆と仲良くしましょうとか、
人に親切にしましょうとか、言われると、

「けっ!かったるいこと言ってんじゃねえよ。世の中、弱肉強食なんだよ!!」て、マジで思ってたから、
根っからのアウトローだったけど、

だからこそ、今、ものすごく思う

ある人が他人をどう扱っているかを見れば、その人が自分をどう扱っているかが分かる






 

今の私の喜びは、
まずは自分を表現すること
そのことで人が喜んでくれたら、もう、最高に嬉しい

それから、人の表現をサポートすること
誰かの話を聞くってことは、私が自然にできる特技なんだ


サービス精神旺盛だから、
つい、人を喜ばせたくなるんだけど、
そういうときは、ちょっと時間をおいて、フォーカスを自分に合わせ直すの
自分が嬉しくなるヴィジョンや言葉を思い描くの


もし、自分が、自己犠牲して、人を喜ばせてるって感じたら、
そのことを誠実に相手に伝える


そうすると、たいてい、相手は、
私がビックリするような仏様の慈愛を示して分かってくれたり、
無理のない第3の方法が自然と浮かび上がってきたりする

最近は、そんなことが多いかなって思うよ










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離人症状は悟りの境地?

2011-04-06 | フォルテネージュ


離人症性障害っていう疾病があるんだけど、聞いたことある?

普通の人でも、一時的にならば珍しくない感覚で、
私も、寝起きとか,鏡をずっと見続けたときなんか、感じることあるけど、

症状としては、
●自分が自分であるという感覚がせず、他人のように感じる
●自分の行動や身体を傍観者のように眺め、周囲の環境に現実味が感じられない
●その感覚は外界のせいではなく,自分の中で起こっているとの自覚がある

他にも,喜怒哀楽や感動がなくなり,
本人が不適応感を抱くと、うつやパニック症状などを引き起こし,自殺するケースもある・・・、そんな神経症なんだ



でも、ちょっと、待って

この症状自体は、「空(くう)の意識」とか、悟りの境地にも、当てはまることなんじゃない
自分という人格から離れて、観察自我である立ち位置に戻る、
そこは、なんの感激もないし、「自分は人間である」という意識から離れるわけだから、
「空の意識」は離人的だよね


ただ、本人が、苦痛を訴えると、「離人症」になって、
静かに受け容れると、「悟り」になるのかも知れないね












物理にまったく疎い私は、
この前初めて、

電磁波っていうのは、電波、紫外線、可視光線、赤外線、X線、ガンマ線など、波長の違いで呼び分けられていて、
しかも、すべてが、光の速度で走る

ってことを、知ったんだ


その中では,可視光線が唯一人間の目に見えるものであり、
光は,植物をはじめ、生命体に大きな恩恵を与えてくれてる

赤外線なんて、お米やお魚が美味しくなりそうだし、
電波は私たちの生活に欠かせないもので、
X線はレントゲン写真で役に立っている

一見、害悪みたいな紫外線にだって、殺菌消毒作用とかビタミンDの生成促進とか、有効な効果があるんだって


それなのに、それらがまとまったものである「電磁波」って言葉には、
どうして、悪役チックなイメージがつきまとうのかしら・・・?











さて、こうなってくると、

何が健全で何が病理なのか、
何が良いことで、何が悪いことなのか、分からなくなってくる

感情でさえ、
喜びに絶対の価値があり、
悲しみの存在意義は、喜びの価値を高めるという、奉仕的な意味だけだろうかって疑問に思う

たとえば、

今回の大地震で、多くの命が失われたことに対して感じる「悲しみ」は、人間なら誰でも抱く自然な感情であって、
そこから、人とのつながりを目指して尊いものが生まれてくるのも、また確かなんだ

人間の死は悼むべきものとの常識を変えたら悲しみは生まれないかも知れないけど,
そうやってネガティブな感情を見つけるたびに,
それらひとつひとつを避けていったとして,

そしたら,どうなるのだろう?
理想の人生が送れるのかなあ?

 



私が心に思うのは、

何かをほめて、何かをけなすことに、あまり発展的な意味はなさそうだいということ

だから、
一元論が神聖な素晴らしきものであり,二元論が俗悪で脱出しなければならないことでもないと思うんだ

 

 

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先見の明の必要条件

2011-04-04 | フォルテネージュ


ニュースでやっていたので、知っている人も多いと思うのだけれど、

宮城県のある海岸地域で、
山の上の、避難所があったおかげで、
今回、70人の命が助かったらしいんだけど、
その避難所は、数年前にあるひとりの男性が、自分の所有地に建てたものなんだって

彼は、海岸の地盤が弱いことを懸念して、
退職金600万円を投じてまったく私的な避難所を造った
地元の人は、「そんな高いところまで津波が来るわけがない」と呆れて言ってたらしいんだけど、

今回の地震のとき、付近の住民たちは急いでその山に登り、難を逃れた
雪の晩のあの日、そこがなければ、命を落としていたと、彼らの感謝は尽きないんだって









私と私のソウルメイトに縁の深いライト兄弟がそうだったからかも知れないんだけど、

自分の志、あるいは野心に正直に行動し、
でも、周囲からはまったく相手にされなくて、
ある時期、社会や時代がやっと彼に追いついて、価値を認められる

っていうお話は、格好良くて、大好きなの

 


漫画「ONE PIECE」のチョッパーの恩人であるDr.ヒルルクもそうだし、
映画「コンタクト」でジョディー・フォスターが演じていた天文学者もそうだった

およそ、
物事のフロンティア、パイオニアになる人々は、
周囲がまだその価値を理解していない対象に、ダイヤの原石を見出すからこそのものであって、
皆から支持されているものを、皆と同じように支持しているのであれば、
何の先駆者とも開拓者ともなり得ない

勇者としての役割が果たされるためには、最初は周囲が着目しないってことが、必要な条件なんだね









なんか、そう考えると、
ヒーロードラマのワンシーンを、
みんなでもって創りあげている気がしてきた

そう言ってしまえば、世の中で、起こっていることはみなそうなんだ、きっと


誰かが注目されるということは、
それまでの道筋の中で、実にたくさんの人々の、適材適所の働きがあればこそ、なんだろう

だから、人は誰もが、(ヒーローでさえ)ひとりではないってことなんだろうね








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成長の定義

2011-04-02 | フォルテネージュ


人の気持ちを考えない人が、
人の気持ちを考えてみるに至ったとき、
その人は成長したと言える



同じように、


人の気持ちを考えてばかりいる人にとって、
人の気持ちを考えずにいられることは、
やっぱり、成長に価する




成長が、物理次元での拡大や発展を意味するのだとしたら、
できるだけ多くの思考が、発現して受肉化することで、
人はまさに栄えていくことになるんだと思う




常に、「○○しなければならない」とキツキツに思ってきた人が、
「○○しなくてもいい」とユルユルに思うに至って、
実際に、「○○するのをやめてみること」のenterキーを押したとして、

その直後は、信頼の失墜や、失望といった、副産物ができたとしても、


展開の中で見れば、基本的には成長なんだ
今までと、違う扉が、確実に開いたから

 

 

昨日、
「感じたままに伝えることは人を傷つける」と思ってきた人が、
相手に率直に心を告げることを選択し、実行したとき、
何が起こるか、観察したの


戻ってきた反応は、衝撃や驚愕ではなくて、

誠実への感謝と穏やかな優しさだった





今日、
「約束は守らなければならない」と思ってきた人が、
約束を敢えて破るという行為に至ったとき、
何が起こるか、観察したの




常識からして、許されないであろうその行為でさえ、

即座に還ってきた反作用は、
罵倒や軽蔑ではなく、

忘れられなかった祝福と、絆への感謝だった







方向が間違っていないときは、必ず証をもらえるんだね








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電磁波そのものになってみる

2011-04-01 | フォルテネージュ


昨日の放射能に続いて、今日は電磁波のお話

我が家のリビングは3階で、窓の外5,6mのところを、目の高さに送電線が走っているの



だから、窓辺に植物を置くときは、
シータヒーリングでもって、電磁波の悪影響から守ってあげる必要がある

これをしないと、
どんなに水や肥料をあげても、
どんどん元気をなくしていって、ひどいときには枯れてしまうんだ・・・悲しいんだけど


初めて、シータで、植物たちを守るように命じたとき、
リビングの窓一面に、黄色い幕が張られるヴィジョンがあったんだけど、


それ以後、実際、
植物たちは、ずっと元気で、活き活きしたグリーンを見せてくれているから、ホント、ありがたい









で、そうして、生命への脅威からしっかりと守りながら、

私は、イメージの中で、電磁波とともに過ごしてみるんだけど、
ちょっと思いついて、かのキミと一体になってみようと思ったわけ

そう、○○そのものになってみるってやつね






わんわんとした、水面の波紋のような、音波のような、そんなエネルギーは、
あちこちに電気を届けている本流から発生して場を作っていた


半永久的に終わらない、乳白色でとろみのある、葛湯のような粘着状の質を感じて
私は、その電磁波の中に入って、体を横たえて皮膚を溶かしてみたのね


そしたら、ふと、
去年の秋の、ある体験が思い起こされたの

そのとき私は、現実と夢の間で、見たことのないようなまぶしさの大きな光に全身を包まれながら、
轟音と静寂を一度に味わったんだけど、
あのときの激しい振動と、電磁波の中に入ったときの体感が同じだったんだ










へえ
こんなところに、私の至高体験の要素が潜んでいただなんて、

あぁ、そうやって、毒と薬、崇高と下劣は、一本の軸を共有しているんだって思った


非可逆的、現象的なこのアプローチは、
意識の中でそれが起こると、もう、電磁波に対する、目を背けたくなるような、あの独特な抑圧感がないの

っていうか、健全に抑圧するって感触なのかも知れないんだけど










「私」というものが、実体のない、関係性の中の縁の積み重ねなんだという見地から言うと、
電磁波が、確実に今、「私」の一部であることが、分かるって思った

 

 



 



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