Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

タブーに対するひとつの考え

2015-05-26 | JIJI

 

    今、何故、このことを思い出しているのか、

    分からないのだけど。

 

    過激派イスラム国によってとらえられて、

    ひどい殺され方をした彼らのこと。

    最期の姿がネットに投稿され、

    動画や写真を、見る、見ない、見た、と、

    当時、話題になったよね。

 

    見るのは不謹慎だとか、非人道的だとか、

    恐怖やら好奇心やら、

    教育的配慮やら、

    いろんな感情が往来してた。

 

    でも、古今東西で、こんな習慣があったじゃない?

    たとえば、ヨーロッパのギロチン台での処刑は、

    たくさんの民衆が集まる広場で行われたし、

    日本でも、死罪となった罪人は、

    河原でさらし首にされた。

    現在でも、死刑囚の死刑執行の際には、

    関係者らが集まって、最期を見届けている。

 

    死を公開するというのは、一線を超えた行為だし、

    かなり、ギクリとするし、

    話を聞くだけで、

    心の奥をかき乱されるような、ざわざわとした感じになる。

    ひとりの死を皆が見守るのは、

    見せしめ的な意味合いとともに、

    そこに、少しだけ、

    人の最期への敬意みたいなものを感じるの。

 

 

    彼らを罪人と一緒にしてはいけないとは思うけど、

    もしも、私が後藤さんの立場だったら、

    自分の姿をたくさんの人に見てもらいたいと思うだろう。

    国際社会のひずんだ現状の重要な一部として、

    誰であろうと知っておいてもらいたいと思うだろう。

 

 


    たとえ、どんな動機からであってもいいから、

    光景を目に焼きつけて、

    理不尽な自分の死を、

    何かの形に育てていってほしいと思うだろう。

 

 

     

    ・・・・いま、何かから、目をそらしていないだろうか?




     Things will be only better

       ハートサポートサロン「フォルテネージュ」