純情きらり(138) → 純情きらー(1)

2006-09-09 23:22:08 | 連続テレビ小説

 戦場に置去りにされて死亡した友の遺品を届け、たった一人の肉親だった姉の前で許しを請う達彦に、その姉は、弥勒菩薩のような微笑を浮かべながら、静かに優しく、しかし凛とした声で「あなたのことを許しません」と告げた。

 許されざる者として自分を否定するのは、実はたやすい。困難なのは、許されざる者として生きること。過去から目を反らさず、非難も中傷も甘んじて受け入れ、その上で現在の自分を肯定し、痛みと共に生きること。消えない傷跡をときに人前にさらしても、未来に向けて歩き出すこと。この言葉を書くのに(昨日の井坂さんみたいに)2時間ぐらいかかったけれど、言うは易しで行なうは遙かに難しい。

「許しません。許してしまったら、弟は浮かばれないからです。この戦争を、私は許さないことに決めたんです。この戦争が良いこと、正しいことだと、戦うべき価値があるんだと弟を奮い立たせて、戦場に送り込んだ人たちのことも、それをとめなかった自分も・・・。ですから、あなたのことも、許しません」
「あなたには未来がある。でも、弟にはないんです・・・」

 今日の「純情きらり」の主役は、「ほっとくわけにはいかん」桜子ではなく「君には関係ない」といいながら寄り切られてしまった達彦でもなく、山長の玄関口で野木山さんにゴッツンコした鈴村さんです・・・というのは嘘で、圧倒的に若山百合子(木村多江)さんでした。

 彼女の言葉は、わざわざ遺品を届けてくれた人に対する言葉としてはメッセージ性が強く、達彦に向けて言うよりも、「美しい国」といった美名の下に過去の戦争を正当化したくてたまらない人(プリンスとか呼ばれていますが、鼻の下にちょび髭をたくわえて髪の毛をニ八分けにした方がわかりやすい人物だと思います)と、その人を総理大臣にしようと血気盛んな若手国会議員(実際、彼が次期首相なので怖いです)に向けて話していただきたいくらいですが、「許しません」という彼女の言葉で、許されていく達彦の表情が印象的でした。言葉の一つ一つが壊れた心に届いたのか、達彦の瞳に少しずつ力強さが戻ってきたのです。

 ですが、腹立たしいのは、この一番大事な場面に、桜子のカットが必要以上に挿入されたこと。お膳立てをした彼女がこの極めてデリケートな場面にまるで保護者のように同席していること自体があまり面白くないのですが、後方で景色になっていればいいのに、クローズアップも含めて6回も彼女のカットが入るのはとても我慢できる代物ではありません。ここの主役はあくまでも達彦だから、「切り返し」で撮るなら、眉間に皺を寄せたまま表情が変わらない彼女のカットは全く不要で、達彦と多江の二人に限定すべきです。個人的には、達彦の表情の変化を追いたいから「ワンショット」で撮影して欲しかったなあ~。達彦と桜子の二人が同じフレームに収まっているときに、「ピン」が桜子に来ていましたが、もう絶句です・・・

 今までは、例えば「マロニエ荘時代」に、桜子が斉藤先生に逢いに行こうか行くまいか揺れに揺れたとき、カメラはなぜか桜子よりも桜子を見つめる達彦を追った。同一画面で「ピン」が桜子でなく達彦にきていたとき、「これは凄いぞ」と思った。トム・クルーズは契約書に自分の「カット数」まで細かく記載させるらしいが、自分が何カット映っているかを考え出したら、作品はひどくつまらないものになっていく。先ほどの演出は、達彦が主役を食ってしまったのではなく、二人のせつない心をより表現するために行われたことなのだ。

 ところが、ドラマが佳境に入ってきて、「格付け」の問題が表面に出てきたのか、「大河ドラマ」の主役にふさわしい差別化を行っているのか、肩書きでは他を圧倒しているヒロインが、どの場面でも極めて目立つようになってきた。これまでもヒロインの「お節介」や、スーパーウーマン的な活躍に白けることが何度もあったが、達彦が帰ってきて(ドラマの中でも)わずか三日しか経っていないのに、結果オーライの強引な行動がまたしても成功し、達彦の一番重荷になっていたことを解決してしまうとは夢にも思わなかった。だが、こうしてヒロインが突出すればするほど、登場人物たちが口々にヒロインを賞賛すればするほど、ヒロインのことを嫌いになっていく・・・

 来週も、達彦さんは軍服を脱がない様子なのでとりあえず「安心」だけれど、達彦が「純情きらり」ならぬ「純情きらー」の手に落ちるのはどうやら時間の問題です。「マロニエ荘」時代の一番感動的な台詞「私は達彦さんの味方だよ。これからずっと味方になるでね。誰に何と言われても・・・」を、ここで使ってくるとは思わなかったよ~。最も大事な言葉だったので、心の準備がまだできません(トシ子ができなくても達彦ができるならいいやんけ!)。冬吾に対する「私のために生きて!」を思い出して、見事なまでの使い分けに舌を巻くのみですが、今日の木村多江さんと桜子を比べると、達彦さんの隣で傷を分かち合いながら生きていくに相応しい人物は、どちらなのだろうと、つくづく考えてしまいました。

 せっかく、達彦さんが帰ってきたのに、こんな感想を抱いて第23週を終えるのが残念です。来週までに以下のことを念じて、桜子の果敢なアタックに達彦がいつまで抵抗して軍服を着続けるか、見届けたいと思います。

①桜子は母かねの死がショックで達彦を死んだと思い込んだ。達彦への想いと共に死んでしまった音楽への思いを、同じ芸術家として彼女が慕い、何度も彼女の窮地を救ってくれた冬吾のおかげで取り戻すことができた。それをきっかけに冬吾を意識するようになり、彼が東京大空襲で重傷を負ったことから、この人を失ってはもう生きていけないという気持ちが募って恋愛感情に発展してしまった。

②微妙な立場に立たされた笛子だが、嫉妬に怒り狂うよりも「妻」として冷静に振舞うことで冬吾の気持ちが桜子に傾かないように苦心した。桜子の気持ちを察しながら冬吾と二人きりにしたのは危険な賭けだったが、あまりの苦しさに彼女が恋を諦めるだろうとしっかり計算した上で二人を誘導している。冬吾に再び筆を取らせるため積極的に「霊感」である桜子を利用したことへの罪悪感をもって、桜子が冬吾を好きになったこと自体を許した。

③冬吾にとって桜子は「霊感」であり、桜子だけが用心深い冬吾が張り巡らせている防護壁を容易に突破してくる。以前達彦に話したように、冬吾は遠くから桜子のことを想っていたのかもしれない。だが、それがただ想っているだけで済まなくなったとき、冬吾はかつて婚約者から逃げ出したように、桜子からも逃げることにした。「俺の方が苦しくなってしまった」と半分本当半分嘘の言葉を置き土産に・・・。冬吾の言葉を聞いて満足した桜子は、恋心を永遠に封じ込めた。

④したがって、桜子さんの達彦への想いは以前と全く同じで、達彦の心の傷を癒したのち二人が結ばれるのは当然の帰結である。

①~④を100回ぐらい暗誦すれば、来週以降納得できるかもしれませんが、彼女主演の大河ドラマは、今は見る気が全く起きません!
(「巧妙が辻」も見ていませんが・・・)

純情きらり(137) → 純情キヨシ(1)

2006-09-09 01:13:37 | 連続テレビ小説
「純情きらり」にもう一人、「純情キヨシ」がいた~!

皆様、今日の「スタジオパーク」見ました? キヨシ=井坂俊也さん、最高じゃないですか? 何て爽やかで真っ直ぐな「漢」なんだろう・・・もう成金だろうが、ストーカーだろうが(第2週だっけ)、子供の味方(「変身して」と子供達から頼まれたとき、変身できないわけを彼らの夢を壊さずに説明しようと真面目に考える)で、「純」なあなたはん(一通のファンレターの返事書きに2時間!)に惚れました!「純きら度」も、昨日は赤点でしたが、5人目の百点満点あげちゃうから~

「スタパ」を見て、達彦からキヨシに乗り換えた人もいたけれど(あれだけ役柄に差があって)、類は友を呼ぶというのか、「坊ちゃん」とも本当に仲がよろしいようで、同じ「まっすぐ」同士、二人がタッグを組めば最強ですね。何でも桜子さんは「朝ドラ」での演技が評価されて(はああ?)大河ドラマの主演に抜擢されたそうですが、キヨシ君も「大河」ありそうですね。悪役にも挑戦したいと言ってましたが、それならトシ子が2代目「エースのジョー」に推薦しまっせ~。キヨシの「怪人二十面相」VS達彦の「明智小五郎」とか、吸血鬼の達彦に狼男のキヨシなんていうのも・・・

それにしても、「純きら」のキヨシの扱い、もう少し何とかならなかったのだろうか? 勇太郎にも感じたことだけど、せっかくこれだけ良い俳優を使っているのだから、もう少し「見せ場」を作ってあげたかったなあ・・・今後も応援させてくださいね~

今日のトシ子は、いつぞやのA&BにC&Dを加えた5人で「純情きらり」を見てました。みそっかすのDは置いといて、Cさんが大いに語ってくれました。

うちの義兄はシベリアに抑留されていて、帰国したのは昭和26年だった。桜ちゃんとは少し違うけど、結婚直後に単身大陸へ渡って、八年後にようやく帰ってきたときはすっかり人間が変わってしまっていた。強制労働で死んだ仲間も多かったし、彼は憲兵だったからB&C級戦犯として裁かれ、死刑になるところだった。思想教育を受けたんだろうね。帰ってきてから、半年ほど気が狂ったように「マルクスが~レーニンが~」って呟いていた。共産主義を信じないことには、本当に殺されていたのかもしれない。まともに口がきけるようになるまで2年くらいかかったよ。桜ちゃんは、自分のことばかり話しているね。お母さんのことだって、今は聞きたくない筈だよ、達彦さん。

Cさんの親戚では、長男が輸送船に乗って戦死。出征前にあわてて結婚(「風のハルカ」のちいさん=朝丘雪路と同じパターン)したため、次男が未亡人になった彼女を自分の妻にしたそうです。

「これが、思い出の曲だったっけ?」と思ったのですが、♪On The Sunny Side Of The Street♪(陽のあたる街角で)を弾いたのは完全に間違いでしたね。「物事に良い面と悪い面があったら、良い面だけを見つめよう」という前向きな曲は、今の達彦さん(とトシ子)には絶対に受け入れられない曲だったから・・・

達彦の思いが爆発します。
「嫌なんだ、!明るくて騒がしくて耳障りなその音が嫌なんだ! 自分たちが何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて‥・ なんでそんなに浮かれてられるんだ? こんな世の中を作るために俺たちは戦ってきたのか? 何人も人を殺して、死なせたくない仲間を何人も死なせてきたのか? 半年前まであった地獄を、皆きれいさっぱり忘れとるじゃないか! どうしてなんだ?」
「 君もそうだよ、何でジャズなんか弾けるんだよ、何でそんなに明るく笑っていられるんだよ?」

達彦の言葉はこの戦争で死んだ者の気持ちを代弁しています。それだけでなく、達彦自身が死者も同然です。達彦が砂塵と共に幽霊のように現れたのは比喩ではなく、だから「生きてる人間は絶望なんかしていられん」という桜子の言葉も、達彦の胸には全く響いてきません。

鈴村は「戦争の後遺症」だといいました。(私は戦争を知りませんが)戦場に行った者と行かなかった者の温度差ではないかと思います。銃後を守る者も辛い思いをしたでしょう。耐久生活を強いられ、いつも空腹で、空襲に焼かれ、命からがら逃げた・・・でも、戦場に行った者とは決定的に違います。戦場では「戦わなければ」ならないから。敵とはいえ、兵士や民間人を殺害すれば、二度と元の自分に戻れません。もちろん、戦争なのだからそこまで思いつめない人もいるだろうし、中には積極的に戦争を楽しめる人すらいるでしょう。でも達彦さんは、二度と元の自分に戻れないことを自覚しています。一生その気持ちを背負って生きていくしかないことも知っています。そのことに今はまだ耐えられず、この先も耐えていく自信がないから「死ぬべきだった」と述懐しているのでしょう。
達彦が受けた傷は深すぎます。傷が完全に癒えることはなく、生きている限り、突然痛みが襲ってきます。言葉の意味としては全くその通りなのでしょうが、それを「戦争の後遺症」だと簡単に口にすることができません。ですが、傷ついているのは達彦一人ではなく、誰もが皆、傷を負いながら生きています。そもそも、生きることが傷つくことなのかもしれません。今の達彦には、自責の念ばかりで他者が見えない・・・まだまだ時間が必要です。