カバーを見ているだけでも楽しい本です。
軽井沢での執筆生活の傍ら、少年の頃、京都の禅寺で教え込まれた精進料理の数々を、畑で育てた季節の野菜を材料に、季節の移り変わりとともに、著者自身が包丁を持って料理したクッキングブックです。
加えて、土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ異色の味覚エッセーとなっています。昭和57年以来、23刷を重ねる人気本です。(お勧め度:★★★)
月毎に12の章からなっていますが、春を迎えた4月の章に、山菜によせる氏の並々ならぬ思いを記した次のような記述あるので、ご紹介しておきます。
"春さきは山菜の宝庫なので、軽井沢に住むことのありがたさを感じるのである。近くの別荘地には谷があり、底の浅い川がながれている。浅間山のまま子みたいに、旧軽井沢よりへでっかく陣取った離山の雨水が、ナイフでえぐったような一つ谷へあつまってきて、真夏とて水のきれたことがない。そこヘゴム長をはいて、水芹をとりにゆく日のよろこびといったらないのだ。・・・
さらにこの季節は、たらの芽、アカシアの花、わらび、みょうがだけ、里芋のくき、山うど、あけびのつる、よもぎ、こごめなど、わが家のまわりは、冬じゅう眠っていた土の声がする祭典だ。収穫したものを台所へはこんで、土をよく落し、水あらいしていると、個性のある草芽のあたたかさがわかっていじらしい気持がする。ひとにぎりのよもぎの若葉に、芹の葉に、涙がこぼれてくるのである。
あけびのつるは、庭にあったのを千切ってきたものを、灰汁でよくゆがき、水につけてあくぬきしてある。これをだし汁につけて喰うが、しょうがをそえればなかなかの風味である。たらの芽は天ぷらが王者だろう。ぼくは粉にわずかに砂糖をまぶしているが、からっと揚がると、おいしいけれど、甘味が多少たりないのでそうしている。甘すぎては何もならぬから、極意のかげんが肝要だ。"