「民主主義や憲法が壊される崖っぷちになって、日本人に主権者や憲法の精神が根付いていると示された。日本の歴史のなかでは、憲法は自分たちの命をかけて闘いとったものではなかったかもしれないが、今まさにそれをやろうとしている。ぼくも一緒に行動していきます」と、昨日の国会前デモに参加した坂本龍一さんの弁。
昨日、安倍政権が遮二無二推し進めようとしている安保法制案(戦争法案)に反対する集会とデモが当地(北広島市)でも行われました。
旧広葉小学校の体育館は、300人を越える人々で埋まりました。
実行委員会代表の挨拶や各界からのメッセージの紹介、アピール採択などを経て、参加者は、JR北広島駅までパレードを行って、同法案の即時廃案を訴えました。
今日、30日は、国会周辺で10万人の集会が行われる他、全国300ヶ所を越える各地で同法に反対する集会やデモが行われます。
近くの河川敷でコスモスが咲いていると(家内が)言うので、朝散にカメラを持ってでかけてみた。
これが河川(輪厚川)敷のコスモス畑。
4~5百坪ほどありそうだが、いっせいに開花しているというのではなく、蕾のもの、満開のもの、咲き終わったものなどが入り混じっている。
いずれにせよ、これら群生している花を撮影するのは難しいのだが、先のツアイス(レンズ)で撮ってみた。
兎に角、曇天の早朝という条件もあり、あまりうまく撮れない。少し勉強しないとダメなようである。
参院特別委における安保法制案(戦争法案)の政府答弁は、迷走を続けている。
集団的自衛権行使の典型例として安倍首相が記者会見で述べた「米韓防護」も、根拠が怪しくなってきた。
一方、これに反対し廃案に追い込もうという動きは津々浦々に広がっている。全国の法曹界と大学・学者ら300人余が合同で記者会見を行うという前代未聞の様子を伝えている。
また、先に安倍首相が吐血したという週刊誌報道があったばかりだが、今度は、ファーストレディのゴシップも流れている。
安保法制案は廃案に! 安倍政権は退陣せよ! 30日は国会へ、または、最寄りの集会やパレードに! 全国300ヶ所で開催されます。
吉村昭氏の記録文学に共感し、このところ同氏の著作を読み続けている。
幕末から明治維新と激動期を生きた日本初の洋方女医お稲の波乱の生涯を描いた傑作。79年吉川英治文学賞受賞、上下2段組み上下巻都合668頁の大作。
物語~1823年(文政6年)、ドイツ人だがオランダ政府の医官として来日したシーボルトは、彼に学びたいと各地の藩から派遣されてきた医者や学者に西洋医学を教え尊敬を得た。彼は、こうして得た影響力を土台に国禁の日本地図を持ち出すべく密かに入手したが、帰国直前に発覚、永久追放の身となった。
一方、元遊女のお滝は、シーボルトとの間に娘・お稲をもうける。「イネ」は、後にシーボルトの愛弟子二宮敬作などから医学を学び、日本で初めての産科医となるのだが・・・。
兎に角、上下2段組みの小さな活字の羅列を見た時、これを読了するのはとても無理と思ったが、物語に魅せられて何とか最後までたどり着くことができた。それほど、この物語の時代背景とシーボルトを始め、主人公の「イネ」らの数奇な運命は、読者を魅了してやまない。
現在、新潮文庫で入手可能で、また、図書館などにも収蔵されていると思うのでご一読をお薦めしたい。(お勧め度:★★★)
日頃、NHKの時事ニュースの偏向振りはひどいと思っていたが、昨夜、1,000人を越える人々が、東京・渋谷のNHK放送センターを囲み抗議行動をしたという。
90年の歴史を持つ公共放送のNHKが、視聴者からデモをかけられるのは初めてのことらしいが、さもありなんと思った。それほど、視聴者は怒っているということだ。(大阪、京都、広島でも同様のデモが行われたという)
特に、安保法制をめぐる国会審議の模様など、もっぱら政府の答弁をたれ流すだけで、問題提起も掘り下げも行わない。
これでは、国民の理解など広がりようがないではないか。
戦後70年の今年、終戦関連の報道では、例えば、沖縄の少年ゲリラの実態に迫るなどとても良い番組があっただけに残念で仕方ない。
大型の台風15号が九州に上陸し、被害の拡大が心配だが、当地(札幌近郊)は快晴の朝を迎えた。
午前6時過ぎに散歩に出ると、秋の気配を強めた涼しい風が吹きわたりとても気持ちが良かった。駅前の公園では、栗の実が風にゆれていた。
芙蓉の花や赤い実をつけた木々や、早くも紅葉しているもみじなどもある。
これだけを見ると、もう北海道はすっかり秋なのだと思う。
タコ型のすべり台のある「やまぶき公園」の傍を通り、中学校の正門に出ると、栽培種の花々が咲き乱れていた。
そして、駅前の公園に戻って来たら、拙宅があるマンション群が聳え立っているのが見えた。如何にも人工的な風景だ。
今週の新聞(朝日)の雑学版に、「いつも使うのは元号?(それとも)西暦?」という記事があった。
新聞の読者1,947人からの回答を集計したものだが、元号派と西暦派の割合は3:7で、まあ、常識的な結果ではと思った。
小生は、西暦派。
これは、長年、海外で商売をした来たせいでもあるが、要は、年数計算の起点が定まっているから便利だという理由以外にない。
この1年ほどは、(引っ越しをしたため)役所や銀行など、諸手続きの過程で元号表記を強いられる場面が多く、今年が平成何年にあたるか首をひねったことが何度かあった。
元号派、西暦派それぞれの贔屓の理由は、上図でご覧の通りだが、元号派は「行政文書などの書類の多くが元号表記」だからとし、西暦派は、「年数の起点が改まらず便利」とある。もっともと思う。
ところで、この記事には他に面白い記述があった。
つまり、日本の元号の場合、西暦645年から使い始めた「大化」から1989年の「平成」まで、何と247も(の元号)が使用されて来たという。平均5.5年に一度変わっている計算になる。
また、昭和から平成への移行は1989年1月8日だから、同年生まれの人の内、1月7日までの人は昭和64年生まれ、1月8日以降の人は平成元年生まれということになる。
蛇足:昔、暮らしていたことのあるイラン国。
西暦の他に、イラン暦にイスラム暦と三つの表記があった。役所相手の仕事でもあったので、イラン暦の使用が義務付けられ、提出文書の日付けの表記にはいつも気を付けていたのを思い出す。ちなみに、イラン暦は、春分の日が1月1日(ノウルーズ)である。
戦時中、北海道で50人を越える教員が治安維持法違反容疑で検挙、投獄された「北海道綴方教育連盟事件」の真相に迫った意欲作。
道新の一地方記者の著者が偶然みつけた「獄中メモ」は、当時の特高による思想弾圧と被疑者虐待の事実を克明に描き出すものであった。また、厳しい管理下にあった当時の獄内で、このようなメモが作成され且つ、獄外に持ち出されていた事実に驚く。
2013年11月、これを取り上げた記事が北海道新聞夕刊釧路根室版に連載されると、「特定秘密保護法案」の国会審議と重なったこともあり、大きな反響を呼んだ。
小学校における当時の作文の授業がどうして治安維持法違反となるのか、そんな理不尽な行為が許される世の中に逆戻りするのではないか、との危惧の念が広がり、関係者や資料の発掘に多くの協力が寄せられたという。
また、北海道では、戦前の同時期、「生活の中から絵の題材をみつけ生き方を考える」をテーマにした旭川師範学校を中心とした絵画運動が治安維持法違反とされ、26人の教員や在校生が検挙された「生活図画事件」も、上記と軸を同じにするものであった。
著者は言う。
「記事連載中の13年12月、「特定秘密保護法」が成立した。14年に入ってからは、集団的自衛権の行使を容認する憲法の解釈変更が進められた。国をあげて戦争へと突き進み、治安維持法によって国民が弾圧された時代を、現代がまるで追いかけ再現しているかのように思えてならなかった。」と。