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ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

被爆者ではない私ですが、

2025-08-09 16:24:20 | 日記
連日の猛暑でしたが、ここに来て福島県の中通り地方に位置する居住地ではやや過ごしやすくなって参りました。
西山に日が沈む前に私の好きな散歩道、田んぼの一本道を歩いていますと、田んぼを渡ってくる風が涼やかです。
〈これが本当の風〉だと思いますと何か懐かしく、思わず「ありがとう」と口に出してしまうのです。
88年生きてきました。
8月の声を聴けば日昼は暑くとも夕方には涼しい風が窓から入ってきたものです。
ところが、ここ数年前からそんなわけには参りません。
30度を越す、いやいや35度を超す猛暑の日さえあるのです。
〈地球の温暖化ねぇ、人間の仕業だなぁ〉
などと考えると気が沈みます。

今日は8月9日。
去る6日の広島の式典に続き、テレビ中継で長崎平和記念式典に参加しました。
長崎市長・鈴木史朗氏の平和宣言が身に染みました。
『「武力には武力を」の争いを今すぐやめてください。
対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しています。
このままでは核戦争に突き進んでしまう、そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに差し迫っているのです。
・・・・・・』
そして、
『「地球市民」の視点こそ、分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか』
と述べられました。
また、
『対話や交流を重ね、互いに理解し、小さな信頼を重ねていく。
これは私たち市民社会の大きな役割です。』
とも語られ日本政府にも訴えました。
『憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、一日も早く核兵器禁止条約へ署名・批准してください。』
と。
被爆者ではない私ですが、私も長崎市長の言葉に共鳴いたします。
被爆者ではなく、たとえ「頭がお花畑」と揶揄されたとしても。
そろそろ夕食の支度にかかる時間です。
今日、我が家の庭にある柿の木から蝉が1匹飛び立ちました。
もうすぐお盆が来ます。

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貧しくもせず、富ませもせず

2025-08-01 06:24:44 | 日記
8月に入りました。
戦後80年と言われる今年の8月です。
各地で追悼の式、あるいは平和を祈願しての集会などが開かれることでしょう。
私にとっても8月と言う月は重たい記憶が蘇ってくる月ではあります。

昭和20年、8歳の私は幼いながら愛国少年少女の一人でした。
居住地にも空襲があって街の多くの人が爆死しました。
それでも、〈『神国日本』は必ず勝つ〉そう信じていた私でした。
学校でもそのように教わっていたのです。
8月15日、「無条件降伏」と言う言葉を聞いた時、初めは意味がわからなかったのですが、日本が負けたことを知りました。
急に、鬼畜米英の兵隊が襲ってくるのではないかという恐れと悔しさで、どうしようもなかったことを今でも覚えています。
その後、アメリカのB29による爆撃の怖さはなくなりましたが、来る日も来る日も食べ物がなくて、いつもお腹を空かせていたことは忘れることができません。

今年の夏は全国的な水不足です。
宮城県の鳴子ダムは貯水率が0%とか。
また米どころの田んぼが水不足でひび割れているニュースも目にします。
農家の方々の悲痛な叫びにも似た声を聞きますと、なんとも切なくこれからどうなっていくのだろう、そんな不安に襲われます。
今、世界は地球規模の温暖化にさらされています。
日本の食料自給率はわずか38%とか。
農作物がこの酷暑で実をもたらさなくなってしまったら、私たちのこの国はどうなってしまうのでしょうか?
穀物生産国が温暖化で食糧危機に陥り自国優先に舵を切れば、食料の輸入など覚束なくなることは必至です。
戦争だけでなく、災害その他の有事が起これば餓死者が大量に出てしまうのではないでしょうか。
日本の安全保障。
まずは食料の自給率を高めることかな。
私の、あまり回転しない頭ではそう考えています。

日本の太平洋沿岸で津波警報が出されました。
この暑さで避難された方々は大変なことだったでしょう。
暑い夏がまだ続いていますが、まずは頭を冷やして、私もいろいろ反省を込めて考えてみたい今年の8月です。
飢餓は人間を餓鬼にします。
私は祈ります。

【私は二つのことをあなたに願います。
  私が死ぬまで、それらを拒まないでください。
  空しいものや偽りの言葉を私から遠ざけ
  貧しくもせず、富ませもせず
  私にふさわしい食物でわたしを養ってください。
  私が満ち足り、あなたを否んで
  「主とは何者か」と言わないために。
  貧しさのゆえに盗み、神の名を汚さないために。】
           (旧約聖書 箴言30章7~9節)



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中耳に水が・・・

2025-07-23 16:17:26 | 日記
毎日毎日とても暑い日が続いています。
88年間生きてきてこんなに暑い夏は初めて。
じりじりと照りつけるお日様を見上げては買い物もためらってしまいます。
そんなわけで、生協から取り寄せている食品をあれこれ見繕って日々の献立を考えています。
テレビは連日ガザ地区の食糧難のニュース。
食べ物を求めて子供たちが泣く声を聞きますと、80年前に私も8歳で終戦時の食料不足を味わったことをついつい思い出して切なくなります。
何とかならないものか、と祈るばかり。
我が家の食品保存棚には、お米も(売るほどはありませんが5キロ入れの袋)、その他の乾物類、調味料その他、取り揃えてあります。
今晩何を食べようか、何を作ろうかなどと考えられることは本当にぜいたくなことかもしれません。
今、物価が高いと言いながらも餓死することもなく、ぼやきながらも日々暮らしていけることに感謝です。
ガザにも早く食料が行き届くことを心底願い祈っています。
このブログ 、11月でサービスが終了ということで続けるかどうか迷っている私。
今も月に1度ぐらいしか投稿してませんから、やめても良いのですが、それもまた寂しい気も。
どうしたものか思案中。
6月末に発熱と咳の症状があってお医者にかかりました。
投薬を受けて服用後2日ほどで熱も下がり咳なども出なくなりました。
一安心していたところですが、数日前から耳に雑音が入るのです。
雑音というか、耳鳴りというか、動悸がそのまま耳に移って、まるで心臓が耳にあるような感じ。
ものを食べても耳に響いて聴力も弱ったようで、テレビのボリュームを今まで以上に上げたり、他人の話が聞こえにくくなって・・・。
夜も耳の動悸で目が覚めてしまい、起き上がって椅子にかけていたり、水を飲んでみたり、そんなこんなでずっと寝不足が続いていたせいか、48キロあった体重が45キロに。
耳鼻科に行ってきました。
中耳に水が溜まったそうです。
先生が処置をしてくださいました。
もうそれはそれはスッキリしました。今までのあのどうしようもない雑音攻撃が不思議にさえ思える位すっかり良くなりました。
ありがたいことです。
今日もまたカンカン照りで夕方からは発雷情報も届いています。
皆様どうかこの夏、元気に乗り切ってくださいますように。
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【戸をたたくのは あたし、あたし・・・】

2025-07-14 07:26:49 | 日記
『被爆ピアノ平和コンサート』に参加しました。
被爆ピアノ平和コンサートは、原爆に被爆したピアノの音色を通して平和への思いを共有し、次世代に平和の大切さを伝えるためのイベントだそうです。
コロナ騒動で、ここしばらく生の演奏を耳にしていなかった私です。
ピアノとチェロの演奏を聴いて、とても心が休まりましたが、同時にトルコの詩人、ナジム・ヒクメットの詩「小さな女の子」の朗読には、原爆で7歳のいのちを奪われてしまった女の子の悲しみが伝わってきて心底悲しい思いに捉われました。

  あけてちょうだい。。
  たたくのはあたし
  あっちの戸とこっちの戸
  あたしはたたくの

  こわがらないで
   見えない あたしを
  だれにも見えない
  死んだ女の子を

  あたしは死んだの
  あのヒロシマで
  あのヒロシマで
  夏の朝に

  あのときも七つ
  いまでも七つ
  死んだ子はけっして
  大きくならないの

  炎がのんだの
  あたしの髪の毛を
  あたしの両手を
  あたしのひとみを

  あたしの体は
  ひとつかみの灰
  冷たい風にさらわれて行った灰

  あなたにお願い
  だけどあたしは
  パンもお米も
  何もいらないの

  あまいあめ玉も
  しゃぶれないの
  紙きれみたいに
  燃えたあたしは

  戸をたたくのは
  あたし、あたし
  平和な世界にどうかしてちょうだい

  炎が子どもを焼かないように
  あまいあめ玉がしゃぶれるように

  炎が子どもを焼かないように
  あまいあめ玉がしゃぶれるように
         原詩・ナジム=ヒクメット
         日本語訳・中本信幸


今、私たちの社会には、「戦争前夜」などと言う不穏な言葉が飛び交っています。
今だけ・金だけ・自分だけ、自国ファースト、そうした風潮が溢れかえっているような気がして不安でなりません。
原爆で死んだ女の子が願っている平和な社会が遠のいていくような気がいたします。
原爆の使用を是とするような発言をする政治家なども出て参りました。
とても恐ろしく悲しい思いになります。
朗読と演奏が終わった後、「聖フランチェスコの祈り」を全員で唱和しました。
私も平和への願いを心から祈りながら唱和いたしました。

『聖フランチェスコの祈り』
 主よ、わたしを平和の器とならせてください。
    憎しみがあるところに愛を、
    争いがあるところに赦しを、
    分裂があるところに一致を、
    疑いのあるところに信仰を、
    誤りがあるところに真理を、
    絶望があるところに希望を、
    闇あるところに光を、
    悲しみあるところに喜びを。

  ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。



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[両手を労苦で満たして、風を追うよりも・・・]

2025-05-01 07:57:23 | 日記
もう5月です。
まだ5月です。
もう、まだ、と、半々の気持ちで過ごしている私です。
今年は2月に88歳を迎え、みんなにお祝いをして頂きました。
ひとつのけじめですから何か新しいことを始めよう、そう考えて、ある計画は立てたのですがなかなかはかどりません。
月別予定の道のりとしてはまだまだの感。
特段体調が悪いと言うことでもなく、何か忙しい状況が身近に起こったわけでもないのですが、全体的に「緩慢」と言う空気の上を歩いているような状態です。

5月の青空が広がっています。
澄んだ青空です。
庭の花木たちも日ごとに緑色の容積を増やしています。
いのちの行進。
そんな思いで季節を眺めています。
平和な時間です。
とは言うものの、不安や苛立ちや怒りがないわけではありません。
テレビをつけますと、カラスの鳴かない日はあっても、トランプ氏のニュースが流れない日はありません。
朝令暮改どころか、前言を数時間で翻してみたり、矢継ぎ早にトランプ流「アメリカファースト」政策に次々と署名して世界を騒がせています。
直ちに私の暮らしに響いてくるわけではありませんが、世界の経済状況が変われば年金生活者であっても無傷ではいられません。

昨日、久しぶりに私の好きな田んぼ道を散歩しました。
掘り起こされた田んぼには水が入り始めていました。
いつもの年なら、秋の実りの豊かさを祈る気持ちになるのですが、今年は、「秋になれば、お米の値段、安くなるのかしらん」などと考えてしまいました。
我が家のマーケティングリサーチは、近隣に在るスーパーのチラシ。
お米も野菜も、あれもこれも高い、高過ぎ!
そんな私の心に、ふっと「コヘレトの言葉」が浮かんできました。
  両手を労苦で満たして風を追うよりも
      片手を安らぎで満たすほうが幸い
             (旧約聖書コヘレトの言葉4章6節)


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