アーバンライフの愉しみ

北海道札幌近郊の暮らしの様子をお伝えしています。

息をもつかせぬ面白さ~乃南アサ著「凍える牙」

2014年03月31日 | 読書三昧
この旅行に、乃南アサさんの「凍える牙」を持って出た。

飛行機の待ち時間にでも読もうと軽い気持ちで持って行ったのだが、どうしてどうして、物語にすっかり引き込まれて帰りの飛行機を待たず読み終えた。



ただ、あまり面白い本を(旅行には)持っていくべきではないと思った。つまり、本に夢中になって疲れが倍加するからだ。

物語~深夜のファミリーレストランで突如、男の身体が炎上した。
遺体は、上半身黒焦げになっていたのだが、どうしたことか下半身に獣の咬傷が残されていた。警視庁機動捜査隊の女性刑事貴子は、相棒の中年デカ・滝沢と捜査に乗り出す・・・。

これは、乃南さんの初期の作品で、第115回(1996年上半期)直木賞を受賞している。

捜査の主体が女性刑事であるという点でも、また、オオカミドックという大型犬に襲われ、死亡する被害者が続出するというストーリーにしても、こんなことが果たして現実に起こり得るのか、いくつか疑問を持ちながら読み進めた。

幸い、きちんと取材した上で納得のいく展開となっており、良質のエンタメに仕上がっていると思った。

蛇足~直木賞選考委員の選評を「直木賞のすべて」からお借りしてご紹介します。

黒岩重吾氏(故人)「食事や風呂、また睡眠時間を惜しんで読んだ」「エンターテインメント小説の醍醐味を満喫出来た。」「その面白さの核は、見事に光る女性刑事の存在感にある。」「これまで、警察と刑事を描いた小説の中で、このように女性臭くて、しかも任務に対して筋を通す女性刑事を主人公にした作品はなかったような気がする。そういう意味では、画期的な小説ともいえよう。」
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ハノイ市民の憩いの場所~ホアンキエム湖

2014年03月30日 | ギャラリー
ハノイの旧市街に接するように、1周2kmほどの小さな湖がある。
中国の支配を打ち破った英雄に、湖に棲む亀が宝剣を貸したという伝説のあるホアンキエム(還剣)湖。(右側に「亀」ゆかりの塔が立つ)



周囲は緑に囲まれ公園にもなっているから、ハノイ市民の憩いの場所として親しまれている。勿論、若いカップルのデートスポットでもある。

雨上がりの湖畔を歩くカップル。午前10時過ぎで、かなりの急ぎ足であった。



木々は、遅い芽吹きを迎えていた。大きな写真がこちらにあります。



湖畔のベンチで、熱心に携帯に見入る若い女性。



旧市街から湖に向かうあたりは、車とバイクの洪水。



旧市街とは反対側に位置する中央郵便局の前を轟音をたててバイクが疾駆する。バイクの2人乗り、3人乗りは常識。



湖から10分ほど離れた「大教会(セント・ジョセフ教会)」の見学に行く。





事情はよくわからなかったが、見学を終え門まで戻ると守衛さんとおぼしきおじさんにえらく怒られた。あるいは、開館時間(午前11時まで)を過ぎていたのかもしれない。

教会前の通りの日本人経営のお土産屋さんに寄る。
展示されている商品もディスプレィも洗練されていて、ここなら安心して買い物が出来そう。





ただ、私たちは、前日までにハロン湾クルーズの行き帰りや、ホテル近くのお土産屋さんで、あれこれ購入してしまっていたので、せいぜいおつきあい程度の買い物しかしなかった。

夕方になり、再度、湖畔に行ってみると、大勢の人々でにぎわっていた。中には、トラデショナルな編み笠をかぶるおばあさんもおられた。



湖畔の一角に、ベンチプレスなどを設置してひと汗流すグループがいた。手前のカップルは、男性が女性に促されて、腹筋運動が何回できるか挑戦していた。



こうして、市民がめいめい、自らの時間を静かに過ごしているようであった。
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「ホーおじさん」の面影を訪ねて

2014年03月29日 | ギャラリー
その慈愛に満ちたまなざしと高潔な人柄で、ベトナム国民から「ホーおじさん」と呼ばれ愛されたベトナム建国の父 ホー・チ・ミン。今は、旧サイゴン市にその名を残すのみだが、その面影をハノイ市内に訪ねてみた。

これは、彼の人となりにふさわしくない「ホー・チ・ミン廟」。



元々、彼の遺書には、遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨・埋葬して欲しいとあったにも拘らず、当時の政治的思惑から、党(ベトナム共産党)の幹部らは、遺骸を永久保存し、「ホー・チ・ミン廟」を建設して安置した。

これは、彼が亡くなる15年前から執務したという大統領府。現在、公開はされていない。



ホーおじさんの家(大統領公邸)



一般公開されていて、これは彼が実際に使用していた食卓だ。食器も当時のまま置かれている。



これは、その後(1958年に)建てられた高床式のこじんまりした「ホーおじさん」の住居。



彼は、1969年に亡くなるまで、この館で生活していたという。書斎のスタンドには灯が灯り、今でも、そこで読書をしているかのようだ。



ホーおじさんの家に隣接して緑色をした粗末な建物があるが、これがベトナム戦争の指導にあたった革命委員会の会議場だ。



何の変哲もない会議室だが、地下10mにも同じ部屋があって、ベトナム戦争当時、米軍の北爆に耐えながら戦争の指揮にあたったという。



この会議場には、著名な軍人や政治家の写真も掲げられている。
これは、歴史に名高いディエンビエンフーの(仏軍との)戦いを指導したヴォー・グエン・ザップ将軍(中央)の在りし日の姿だ。



ここから少し離れるが、ホアンキエム湖から東に5分ほど歩くと、「革命博物館」がある。そこでは、列強の支配によるベトナム国民の苦難とこれをはねのけ建国に至る輝かしい歴史を、簡素なパネル展示で紹介している。

この博物館、日頃、訪れる人は少ないようだが、この日は、ちょうどフランス人と思われる女性が二人、熱心に展示を見て回っていた。壁に、若き日のホー・チ・ミン氏の姿があった。



これは、ベトナム戦争当時、日本からおくられた連帯の寄せ書き。贈った人々の署名が入っていた。



「私たちも当時、この運動に参加していたよ」と言うと、ガイドが、一瞬、目を潤ませていたのが印象的であった。
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大間原発差し止め訴訟~函館市議会可決

2014年03月28日 | ドラミング
北海道函館市議会は、26日、2月定例議会において、国とJパワーを相手取り大間原発の建設を差し止める訴訟を起こす議案を全会一致(2名退席)で可決した。



27日のしんぶん赤旗が伝えた記事をご紹介する。
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春巻きづくし~ハノイ日本人旅行者食事情

2014年03月28日 | ギャラリー
おいしい、めずらしい食にめぐりあえるかも知れないという期待感が旅をドキドキしたものにする。

さて、ハノイでの食事である。

これは、旅行業者が手配したレストランの昼食だったが、早速、お目当ての「ブンチャー」が出た。



甘辛く味付けされた豚肉や鶏肉の「ツクネ」を香ばしく焼き上げ、それをブン(麺)や香草とともに「付けダレ」でいただく。この店では、小さい揚げ春巻きも同じお皿に盛られて出た。

ただ、この「付けダレ」が甘すぎて口に合わない。「醤油があればなぁ~」などと言いつつ、肉のうま味に助けられて美味しくいただいた。

この日、夕食はフリーとなったので、ホテルのレストランであれこれ適当に注文したら、イメージと異なる料理が次々と出て来てお弱りであった。ただ、どれも美味しく食べられたので、結果オーライであった。

上から順に~
 ・ ホテル自慢のサラダ~これで一人前



 ・ 揚げ春巻き~パイナップルをくり抜いたタワーに竹串を刺し、それに春巻きを飾るという凝ったつくりになっている。タワー内部にはロウソクがしつらえてある。



 ・ 鶏肉のから揚げとご飯にスープ



 ・ スライスした牛肉を濃いめの味で炒め、それを竹を半分に割った筒に盛った料理。これもご飯とスープ付き。



食べ方としては、ご飯に具をのせて、そこにスープをかけて食べるらしいのだが、小生らは、日本式にそれぞれを口に運んだ。これに、オニオングラタンスープとデザートをつけて約4千円(二人)であった。

これは、ナイトツアーで業者が手配したレストランだが、ハノイの代表的な料理の「チャーカー」だ。味付けした「ナマズの切り身」をフライにして、それを鍋に浮かべ、そこへ香草を投げ入れる。



一方、麺を器に盛り、そこに魚のフライと柔らかくなった香草をのせ、そこに鍋つゆをかけていただく。



これが実にうまい。今、ハノイで最も人気のある料理らしい。このレストランでは、三角形をした揚げ春巻きも出た。



ハノイに来て、「フォー」を食べないという方(ほう)はないと、フォーの専門店に行った。



ホアンキエム湖の湖畔にある「フォー24」という全国展開をしている店だが、これがとても美味しかった。写真には写っていないが、これに唐辛子と刻みネギが付く。



この店のメニューが写真入りで、しかも明朗会計という(ガイドブックの)コメントをみて出かけたが、一番高いフォーで69,000ドン(330円)と私たちの感覚ではとてもリーゾナブルな値段であった。

ところで、表題である。

日本人が座れば「春巻き」を出せばよいと思っているのか、兎に角、この間、春巻きばかり食べていた気がする。春巻き抜きは、専門店でフォーを食べた時だけで、あとはすべて春巻き付きであった。最後には、もう見るのもイヤという感じになった。

それにしても、こと「食」に関するかぎりハノイは合格である。
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百聞は一見に如かず~ハロン湾クルーズ

2014年03月27日 | ギャラリー
今回のハノイ観光とハロン湾クルーズの旅。

事の始まりは、ブログ仲間のあんこさんとぶんこさんの「二人旅」の記事を拝見したことにある。

関西のとあるふたつの空港から別々に飛び立ったお二人が、ハノイの空港で待ち合わせて、その日の内に「シクロ」に飛び乗って市内観光をしてしまうというそのバイタリティのすごさに感服し、しかもそれが、「個人旅行」だったことを知るに及んで、何とかして自分も行ってみたいと思うようになった。

そこで、お二人にあれこれご援助願って、計画・実行したのがこの旅だ。
つまり、ホテルもクルーズ船も同一、日程もほぼ同じという言わば、「二人旅」のクローンを実践する結果となったわけである。

ところで、ハロン湾クルーズである。

これもお二人のブログで拝見できるのだが、今更ながらに思うのは、これこそ「行って実際に体験してみないとダメ」という代物である。

朝8時に旅行会社のガイドがホテルに来て、他のホテルからピックアップした旅行者(6名)とともにSUVに押し込まれ片道4時間かけてハロン湾へ移動した。途中、工事中の道路などもあって、なかなかハードな移動となる。

港に着くと早速、乗船手続きが始まり、部屋番号を記載した首輪を渡される。乗船後、指定された部屋に入ると、さほど広くはないがきちんとメイクされていて気持ちが良い。ライフジャケットも(部屋に)準備されている。





後に撮影したのだが、乗船した船はこんなかたちをしている。本来なら、昔のジャンク船のイメージで大きな帆を立てるそうだが、この日は生憎、風が強く、帆は立てていない。



ダイニングでウェルカムランチを頬張りながら、(聴き取りにくい英語の)ガイダンスを聞いている間もなく船は港を出た。そして数分もすると、船窓にはいろいろな形をした小島が流れだす。





こうして、種々のかたちをした島々、中には、ゴリラとか闘鶏だとかガイドブックで紹介されている島も実際に見て、痛く感激する。

1.5時間ほどクルーズを楽しむと、水上生活者の村を訪問するので、はしけに乗り換えてくれと言われ、救命胴衣をつけて(本船が曳いてきた30人ほど乗れるはしけに)乗船する。



これが村の様子だが、魚や真珠貝の養殖をして生計をたてていて、観光もそのひとつになっているようだ。村には学校もあって、現在、50人ほどの子どもが(自分で小舟を操って)通って来るという。これは教室だが、正面右隅に「ホーおじさん」の肖像が掲げられていた。



その後、水上生活者による手漕ぎのボート(4人乗り)に乗り換え、島々の見学に赴く。そして、小舟から島々を見上げると、その迫力に圧倒される。百聞は一見に如かずである。







こうして、海上遊覧を楽しんで本船に戻ると、クッキングスクールが開校する。





春巻きを作ったり、シェフの包丁さばきに感心したりする内、夕食となり、船旅の初日を終える。
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反原発を掲げて~ミサオ・レッドウルフさん

2014年03月26日 | ドラミング
毎週金曜日の夜、首相官邸前や国会議事堂周辺で、反原発の集会やデモを繰り広げてきた首都圏反原発連合の活動も、この29日で2年を迎えるという。

この間、いつもその運動の先頭に立ってきたミサオ・レッドウルフさん。
今後も政府が、再稼働や、エレルギー基本政策で原発の使用をうたうかぎり運動を続けるという。



今日のしんぶん赤旗1面は、そんな彼女の活躍を伝えている。
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トンボが取り持つ~日越の不思議な縁

2014年03月26日 | ギャラリー
20日から25日までハノイ観光とハロン湾クルーズを楽しんだ。
詳しいいきさつは次の記事に譲るとして、とりあえず、トンボの話である。

ハノイ近郊(南10km)にバチャンという1,000戸ほどの小さな村がある。
この村は、全戸が何らかのかたちで「陶器生産」に携わるという、いわゆる瀬戸物の村だ。

村の大通りは、こんな感じなのだが、瀬戸物店が軒をつらねている。







郷土館に行けば、造っているところを見学できると(ガイドさんが)言うので、早速訪ねてみた。



この建物の4階から上の工場で、実際にその作業を拝見することができた。

これは、溶かした粘土を「型」に流し込んで、しゃもじを造っているところ。コショウ入れなど、小物をつくるのに用いられる。





これは、ロクロで成形して乾燥させた茶器などに「絵入れ」をしているところ。見学した時は、二人の女性が作業していたが、手前の女性が描いていたのが「トンボ」だ。





この「トンボ」。
16世紀頃、つまり、茶聖「利休」が活躍した時代に、日本の希望で絵柄に取り入れられたという。そんな昔から、遠くベトナムで生産された茶器などが輸入されていたというのだから驚く。



そこで、小生が購入したのがこれ。
トンボの絵入りのコーヒーカップだが、色は青で、後部にあるのは、「魚」の絵柄のもの。どれも、ひとつひとつバチャン村の職人さんの手によるものだ。



最後に売り子の女性がポーズをとってくれた。

蛇足:ホテルに帰り、洗面所でうがいをしようとコップを見ると、そこにはトンボがいた。よく見ると、アメニティグッズを保管しているツボや、石鹸受けにもトンボが飛んでいた。


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陽光まぶしいニセコの春

2014年03月20日 | 田舎暮らし
春のお天気は、若い娘さんの心にも似て、とらえどころがありません。

一昨日、強風と霙(みぞれ)まじりの雨が降ったかと思えば、昨日は一転、強い日差しが降り注ぎ、春本番を思わせました。

夕方、いつものように散歩に出ると、ニセコのランドマーク、羊蹄山(1,898m)が青空に映えていました。大きな写真がこちらにあります。



別荘地から道道58号線に向かう町道は、分離帯のある大きな道路ですが、両側のアスファルトが黒々とはだけて、陽光の強さを物語っています。



西側に屹立するニセコアンヌプリ山(1,308m)も、いつもの美しい姿を見せています。



これは、町道と道道の合流地点に建てられた「ご苦労さん看板」です。



メッセージは、札幌方面へ帰るゴルファーに向けたものですが、これが役立つのは、まだ少し先になりそうです。
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感動大作~浅田次郎著「終わらざる夏」

2014年03月20日 | この一冊
1945年8月18日未明。

ソ連軍8千が海峡を渡り、千島北端の占守島に来襲した。
戦争は、3日前の玉音放送で終わったはずであった。



2005年11月から4年間、「小説すばる」に連載された浅田次郎氏の大作、「終わらざる夏(上下巻925頁)」を深い感動とともに読みました。

物語~最北端の占守島を含む千島列島には、米軍を迎え撃つため日本軍の精鋭1個師団(2万3千人)が配置されていた。

しかし、一度も本格的な砲火を交えぬまま8月15日を迎え、故国の敗戦を知った。
そして、終戦処理のため訪れるであろう米軍使節を待ったのだが、来たのはソ連軍であった・・・

本来、日本の領土である千島の領有権問題は、決して風化させてはならない今日的課題です。その点で、この小説の持つ意味は極めて大きいと思います。

追記:一昨日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナのクリミアを編入する条約に署名。実質的に「自国管理下におく」として、国際社会を驚かせました。
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