青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

曽根 ~線路の左右で街並みが違う町!

2022-02-10 | 昭和・懐かしい北摂の風景
これは昭和40年頃の阪急宝塚線・曽根駅の、宝塚行ホームです。
 
 
僕の1番古い曽根駅の記憶はこの光景。写真左側に見えるように、昔はいろんな広告看板が、駅のホームには並んでいました。右から3枚目の看板「池田回生病院」は、現在も池田駅の東側、阪急電鉄生みの親・小林一三のお屋敷の前で医療に当たっています。
 
曽根駅には線路の西側に当時「皮膚科」専門の病院があり、田んぼや林、藪の中で得体の知れない虫に刺されたり、汗疹に悩まされたりした時、僕はそこに親に連れて行ってもらいました。それが曽根と僕との出会いでした。
 
豊中~曽根間が高架化されたのは、平成12年。それまでは地上駅で、東西に改札口がありましたが、写真後方に見える西改札口は、朝夕の通勤、通学時間帯以外は閉鎖されていました。
 
現在の曽根駅・駅前は歩道も広く、綺麗に再開発されているものの、駅東側の岡町に至るまで大きな屋敷が並んでいた光景は、今では「こじんまり」した景色になってしまった感があります。
 
 
曽根駅の線路から東の地区は、阪急電鉄による沿線住宅開発が行われ、戦前から大きな屋敷が建ち並び、「西の芦屋・東の曽根」と並び称される高級住宅地として有名でした。大きな庭と生い茂る木々の向こうに佇むお屋敷に、「どんな人が住んでるんだろう」と子供時代には興味津々でした。これは昭和30年代中頃の写真ですが、学校への行き帰りに子供たちは、垣根の隙間からお屋敷の中をよく覗いていました。
 
逆に曽根駅の西側には300メートルほどの商店街があります。これは昭和50年頃(1975年頃)の写真ですが、坂道に沿うように多くの商店が軒を連ねています。
 
 
駅の東側にダイエーが出来ても頑張っていましたが、平成に入って、駅が高架化すると車の通り抜けが増えて人通りが少なくなり、写真に見える商店も次々と数を減らしてしまいました。
 
 
これが現在の同じ場所。左側の電柱にある「質屋」の看板が目印になり、撮影地点を見つけるのがいつもながら簡単です。本当に「質屋」はどこにいっても残っていることが多い!大手サラ金会社が増えたり、銀行の低金利が進もうとも質屋は庶民の生活に根付いています。
 
曽根のこの商店街も、様々な努力により商店街の活性化を図ったようですが、かなりさびれてしまい、寂しい光景になってしまっています。


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