昨日の記事で、大阪球場では閑古鳥が鳴いていて、観客数を数えることが出来たと書きました。あれは南海ホークスの消化試合(優勝が決まった後の試合)でのことで、実はもっと酷い試合があったそうです。86歳の父親から今日聞いた話です。
この写真は昭和30年代前半の大阪球場。写真を見れば分かるように、観客数は数えなくても見れば分かるレベル!
「これノンプロ(社会人野球)の試合?」
「違う、パ・リーグの試合。」
「こんなにお客がいないってどこの試合?」
「近鉄パールス対トンボ・ユニオンズの試合!」
そんなチーム知らない!と言うと、後の「大阪近鉄バファローズ」(2004年消滅)対「千葉ロッテマリーンズ」だと教えてくれました。この両チームは弱くて人気が無く、この対戦カードではいつも閑古鳥が鳴いていました。
なぜ南海ホークスの球場なのに、近鉄対トンボなのか?当時は全球場に、ナイター設備が無かったのです。それでナイター施設のある大阪球場は、他球団がよく利用していたのです。日本プロレスのジャイアント馬場も、東京プロレス時代のアントニオ猪木も、ここで試合を行っています。親父は両方観に行きました。(羨ましい!)
こんな人のいない大阪球場でも、毎週人が溢れている場所があった!それがここ!
外野スタンド下にあった場外馬券売場です。
昭和30年代の球場内には、アイススケートリンク、卓球場、文化センターもあり、古本屋、ユースホステル事務所等がテナントとして入っていました。この場外馬券場が昭和31年に開設した後、競馬ファン向けに開業した食堂は、大人気でした。
最後に大阪球場は、正式名称は「大阪スタヂアム」で、通称「ナンバ球場」。往時を知っているお年寄りは「大阪球場とは言わない」そうです。