しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <一人のやもめ>

2024-07-28 | みことば静想
「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル書11:6新改訳)

イスラエルの隣国、ツァレファテの町に住む一人のやもめは、うち続く飢饉(ききん)のため食べ物がなくなり、死を覚悟(かくご)する事態(じたい)におちいった。かめには一にぎりの粉、つぼにはほんの少しの油しかなかったのだ(Ⅰ列王記17章)。▼最後に粉と油でパンを焼き、息子と食べて死のうと決心したとき、エリヤがやって来た。そして、「婦人よ、その粉でまず私にパン菓子を作り、残りを親子で食べなさい。なぜなら主が『飢饉が終わるまで、あなたのかめの粉はつきず、壺(つぼ)の油はなくならない』と言われるから」と言ったのである。もし、あなたが彼女だったらどう答えるだろうか。ふつうなら、「私は今まで主に食べ物をくださいと祈って来たがだめだった。あなたの言うことは信じられない」と断るのではないだろうか。だがやもめはエリヤの言いつけに従い、三分の一で小さなパン菓子を焼き、彼に与え、残りでわずかな大きさのパンをこしらえ、親子で食べたのだった。▼そのとき奇蹟が起きた。「主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」のである。私たちが心から主を信じ、その言葉に従うとき、主は栄光を現わされる、ということがわかる。なぜなら生きたほんとうの信仰だけが、主の栄光を現わす通り道だからだ。このやもめは餓死寸前(がしすんぜん)の絶望下(ぜつぼうか)にいたが、それでも神のおことばに従った。今もこのような生きた信仰を、神は求めておられる。▼「まことに、あなたがたに言います。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉(だいききん)が全地に起こったとき、そのやもめたちのだれのところにもエリヤはつかわされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女にだけつかわされました。」(ルカ4:25、26同)