しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <パウロたちの宣教旅行>

2024-07-05 | Ⅰコリント
「私はマケドニアを通って、あなたがたのところへ行きます。マケドニアはただ通過し、おそらく、あなたがたのところに滞在するでしょう。冬を過ごすことになるかもしれません。どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらうためです。」(Ⅰコリント16:5,6新改訳)

本章を読むと、パウロとその弟子たちは当時のアジア、ギリシアといったローマ帝国内を、宣教のため、活発に行き来していたことがわかる。▼今から見れば、当時の旅行は徒歩が主で、海上は帆船(はんせん)だったから、便利さにはほど遠いものであった。しかしこの章だけを見ても、パウロをはじめ、テモテ、アポロ、ステファナ、ポルトナト、アカイコ、アキラとプリスカなどといった人々がひんぱんに旅をし、また手紙が通信手段として大いに用いられていたことがわかる。▼彼らの頑健(がんけん)なからだ、貧しさや危険、困難に耐える意志、キリストの福音のためにすべてをささげた献身の姿勢は、私たちを感動させる。おまけに彼らはたえず迫害の危険にさらされ、明日をも知れぬ生活を続けていたのだ。やがて我らは天において、喜びに満ちた彼らに会うであろう。そのとき恥じないために、私たちはどうしたらよいか、それを考えねばなるまい。▼さて、ここでパウロは「どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらうため」と書いているが、やがていつかはローマに到達し、当時の世界の中心で宣教したいとのビジョンが姿を現しつつあったのではなかろうか。おもえば彼はユダヤ人にしてローマ人であった。後者の市民権を持っていたことはじつに重く、いざ裁判になれば皇帝に直訴できたのであった。このような権利は、ペテロやほかの使徒たちに与えられていなかった。すなわち主はパウロを用いて、時の皇帝やその周囲の人々に復活の福音を証ししようと計画しておられたのだ。パウロほどキリストの深遠性を把握した者はなく、パウロほどそれを異邦人世界に明瞭・適確に論証できた人物はいなかった。まさに彼は神に立てられた「選びの器」だったのである。▼その福音は二十世紀になって東の果て、日本に住む私たちにも届いたとは、ただ驚きというしかない。時と場所を超え、使徒の内に赤々と燃えた真理の炎が今、私たち日本人キリスト者の一人一人に燃え移っているとは、なんという感謝であろう。この火を絶やさないでともし続け、同胞に証しし、迎えに来られるイエス・キリストの前に、花嫁として立たせて頂きたい。