しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の歌 <ただ前のみ>

2024-07-31 | 朝の歌
①ただ前のみ望み行け 汝が後をばふりむくな 燃ゆる柱あおぐとき
 主の間近にあるを知る 川を過ぎて約束の 豊けき地を見るまでは

②愛もて主に仕えれば 主は手ずから報いたもう 一度も見ず、耳にせぬ
 天つ幸は汝がものぞ 目の前なる霧は消え 主のみむねを さやに知らん
 
③見よ彼方にかがやくは 神の都・ふるさとぞ 黄金の門と宝石の家
 すべてを主は汝れに賜う ただ前のみ望み行け 勝ちは汝れの手にぞある

<聖歌335 詞:Henry Alford,1871{UN}>  

朝の露 <偶像からの解放>

2024-07-31 | 申命記
「彼らの祭壇を打ち壊し、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を火で焼き、神々の彫像を切り倒して、それらの名をその場所から消し去りなさい。」(申命記12:3新改訳)

カナンに入ったとき、原住民たちが拝んでいた神々、その偶像や礼拝場所などすべてを徹底的(てっていてき)に破壊(はかい)し消し去ることをモーセは厳命(げんめい)する。▼もしイスラエル人たちがこのとおりにしていたら、いつまでも約束の地で存続できたであろうが、彼らはできなかった。たとえ一時的にそうできたとしても、ふたたび雨後のタケノコのように異教礼拝は復活した。イスラエル王国史は、その果てしなき戦いの記録である。▼これは今も同じで、イエスの血潮によりその人の心がきよめられない限り不可能である。なぜなら偶像は外部の彫像(ちょうぞう)や鋳像(ちゅうぞう)でなく、心に存在する原罪=腐敗性(ふはいせい)が正体だからだ。パウロは「彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです」(ピリピ3:19同)とピリピの人々に書いたうえで最後に言う、すべての人よ、十字架に来て偶像問題を解決しなさい、そうしなければ永遠の神の国に入ることはできないからだ、と。▼「しかし、臆病(おくびょう)な者、不信仰な者、忌(い)まわしい者、人を殺す者、淫(みだ)らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄(いおう)の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21:8同)