【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「大いなる陰謀」:元浅草三丁目バス停付近の会話

2008-04-19 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

キズもヘコミも早く直さなくちゃいけないわよねえ。
ああ、特に国家レベルのキズやヘコミはな。
あれ、なに、いきなり高邁な話になってるの?
いや、「大いなる陰謀」とか観ると、そう感じるわけさ。
トム・クルーズ、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードと大御所がそろったポリティカル・フィクションのことね。
泥沼化したイラク情勢を打開しようとする政治家がトム・クルーズなんだけど、そのためにアフガニスタンでまた侵攻作戦を起こそうと企む。
というか、それで自分の政治的な名声を上げようとする意図が、見え見え。
そのためには派手な軍事作戦をぶちかます以外頭にないみたいで、ほんと、アメリカ人て根っから戦争が好きだとしか思えない。
アメリカの一部の人々、って言って。
自分自身は、戦争で殺される立場にいない人たちな。
彼を取材する報道記者がメリル・ストリープなんだけど、うさんくさい作戦に異を唱えながらも、「いまやマスコミが反対しているイラク戦争も開戦当初は大賛成してたじゃないか。マスコミにだって責任がある」なんて言われると、反論のしようがない。
そのアフガニスタンへ自分の指導する学生を心ならずも志願兵として行かせる羽目になってしまった大学教授が、ロバート・レッドフォード。
ヒスパニック系とアフリカ系の学生で、生きて還ってくれば、学費が免除される。
たしかマイケル・ムーアのドキュメンタリー「華氏911」でも取り上げられていたな、イラクで殺される志願兵は、しかたなく戦争へ行った貧しい階層の若者ばかりだって。
そういう深刻なテーマなんで、ある意味、陰々滅々とならざるを得ないんだけど、トム・クルーズの政治家とメリル・ストリープの記者、ロバート・レッドフォードの教授とその学生が1対1で議論を交わしていくっていう形で話が進むから、観ていて正直肩が凝ったわ。
監督も兼ねるロバート・レッドフォードって、とにかく生真面目だから、気を抜く場面をつくらない。色気でもユーモアでもいいから、ちょっと柔らい部分を入れてくれるとまだ救われたんだけどな。
「リバー・ランズ・スルー・イット」とか「モンタナの風に抱かれて」なんていう監督作は、同じ生真面目な作風でも、大自然の美しさが前面に出ていたから、心地いい映画になったけど、密室の中で延々と議論を交わされると、ちょっときついわね。
アメリカの苦悩はシンプルな構図では描き切れないところまで来てしまったという、切実さは伝わってくるけどな。
でも、地味。大スターが三人も名前を連ねていて、こんなにも華やかさに欠ける映画なんて信じられない。アメリカっていう国は、ほんとうにドツボにはまりかけているのかしら。
しかし、アメリカ映画を観ていて感心するのは、現役の大統領とか実在の政党とか平気で出してくるところだ。「大いなる陰謀」でもトム・クルーズとブッシュ大統領が並んでいる写真が臆面もなく出てきた。日本映画で現役の首相が出てきたり、実在する政党の名前が出てきたりっていうことは、ほとんどない。
と言うか、いまの日本映画では政治的な映画って死滅しかかっているもんね。高齢者の問題でも格差社会の問題でも、映画になりそうな政治的テーマは、ゴマンとあるのに。
そういう意味では、アメリカのほうが映画の志は高いってことかもしれないな。
出来不出来は別にして、映画は政治の世界のキズやヘコミを訴えることもできるってことを忘れていないのよね。
俺の人生のキズやヘコミも直してほしいな。
うん、それはムリ。


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