【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「王妃の紋章」:東上野一丁目バス停付近の会話

2008-04-12 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

「王将ビル」なんて、ずいぶんたいそうな名前のビルね。
実は、どこかの国の王宮だったりして。
それにしてはずいぶん違うわね、「王妃の紋章」の王宮とは。
「王妃の紋章」は、中国の後唐の時代の王宮が舞台の愛憎劇なんだけど、あの映画に登場する王宮は、ため息が出るくらい壮大できらびやかだったもんな。
世界中の贅という贅をかき集めたような、まばゆいばかりの黄金世界。部屋も衣装もとにかく金、金、金に満たされて、さすがは中国、ここまで徹底するかとあきれるほど、圧倒的な量の金づくしだったわ。
まったく、豪華キンランとは、このことだ。
あー、それを言うなら、豪華ケンランだと思うけど。
まあ、そうとも言うな。
いつのまにか、超大作ばかり撮るようになってしまったチャン・イーモウ監督の「HERO」「LOVERS」に続くコスチューム劇なんだけど、前二作に比べると、アクションよりもメロドラマ性がより濃くなってたわね。
主演が、かつて中国の百恵ちゃんと言われたコン・リーだからな。アクション中心というより、王家のドロドロの家族関係の中で苦悩する王妃の悲劇を描くドラマになっていた。
じゃあ、アクションに手を抜いているのかというと、そんなこと一切なくて、スローモーションを多用しながらのスピード感あふれるアクション・シーンというのも健在だった。
まるで日本の忍者みたいなのが出てくるんだけど、ああいう存在、中国にもあったのかな。
ロープをひゅーと伝わって、飛んだり跳ねたり。見ものだったわね。
そして、これでもか、これでもかというほど湧き出てくる大量の軍隊。
人間だからいいけど、ゴキブリだったら大変よね。何本ゴキブリホイホイがあれば退治できるのかしら。
うっ、お前らしい例えだな。
ラストの戦闘場面なんてほとんど「ロード・オブ・ザ・リング」になっていた。
ああ、その例えなら納得できる。あれだけの量で圧倒するなんて、いまや、アメリカ映画と中国映画くらいしかできない芸当だ。
しかも、その戦闘の後片付けをするシーンも出てくるんだけど、その手際のいいこと。何万という数の死体をあっと言う間に片付けて、広大な王宮をきれいさっぱり元通りにしちゃうなんて、さすがは中国、大量のゴミのさばき方まで心得てるって、感心しちゃったわ。
って、どういう感心の仕方だよ。
ものごとを計る単位が違うんじゃないかってことよ。1万人、2万人を1人、2人って感覚で数えているんじゃないの、あの国は。
王宮のつくりも100メートル、200メートルを1センチ、2センチって感覚でつくったとしか思えない、桁違いの大きさだもんな。
クローバーフィールド」の怪獣もああいうところなら伸び伸び暴れ回れるだろうにね。
チャン・イーモウの次回作は怪獣映画をお願いするか。
それもなんか、想像できないけどね。
まあ、とりあえず、今回は、「王将」級の映画ではなかったけれど、「金」は取れた映画だったということで・・・。
あなたに言わせれば、豪華キンランね。


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「クローバーフィールド HAKAISHA」:御徒町駅前バス停付近の会話

2008-04-09 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

ずいぶん巨大な十手ね。
これくらい巨大な十手があれば、「クローバーフィールド」の怪獣も退治できたかもしれないな。「御用、御用」とか言って。
大魔神じゃあるまいし、それはありえないけど、「クローバーフィールド」は、もし怪獣が襲ってきたら、一般人にはこう映るだろうと思えるようなことを迫真の映像で追っていて、思わず背中がゾクゾクしたわ。
突然、正体不明の怪獣に襲われたニューヨークの街を逃げ惑う人を追いかけるだけの映画。たまたま現場に居合わせた人のホームビデオからの一人称目線だけで、一本の映画を成立させちゃうんだからたいしたもんだ。
話は単純なんだけど、雰囲気がやたらリアルだから、ただのキワモノ映画っていう感じがしない。
Always 続・三丁目の夕日」の冒頭場面が80分間続くよう映画だと言えばいいかな。
そうとも言えるし、「エイリアン」のニューヨーク版とも言えるじゃない?
たしかに、怪獣はエイリアンとアメリカ版のゴジラをたして2で割ったような造型だったもんな。
瓦礫の煙に追いかけながらニューヨークの街中を逃げる人々のようすなんて、明らかに9.11にインスパイアされていて、あのときにテレビで見た現実の映像とまったく変わらないクオリティ。あの臨場感で全編を押し通すから、つくりものとは思えない迫力が出た。
9.11といえば、あの事件に遭遇した飛行機内部のできごとをドキュメンタリー・タッチで描いた「ユナイテッド93」なんていう映画もあったけど、ああいう映画も髣髴とさせる出来だった。
怪獣の正体とか、どうやって退治するのかなんていうことには目もくれず、そこに遭遇してしまった普通の人の視線だけで事件をとらえるっていう割りきりが、なんといっても潔かったわ。
いろいろな周辺情報は、インターネットの中をかけめぐっているらしいけど、事件の渦中にいる人には全貌なんてわかりっこないんだし、政治家や科学者や軍隊が右往左往する映画はゴマンとあるし、そういうのはもういいんだっていう態度が、停滞のないジェットコースターみたいな映画を生んだってことかな。
うん。テロの比喩だとか、環境問題の反映だとか、とってつけたような意味を怪獣にまったく持たせなかったぶん、娯楽に徹した純粋映画ができあがった。
普通の人の視線からとらえたリアルな怪獣映画。これが、ありそうでなかなかないんだ。日本映画でいえば、必ず、丹波哲郎風の総理大臣とか永島敏行風の自衛隊員とか小泉博風の科学者とか出てきて、映画を停滞させる。
シンプルにワンアイデアだけで押して、そのかわり細部に手抜きはしない。これが、映画の王道よね。
ただ単にトラックに追われるだけで一本の映画をつくりあげてしまったスピルバーグの出世作「激突!」。あれに近い印象だな。長年の怪獣映画ファンとしては、どれだけこういう映画を待ち望んだことか。
瀕死の重傷のはずの女性が走りまくるくだりだけは、ちょっとリアリティに欠けた気がしたけどね。
でも、いそうだよな、こういう、自分の身に危険が迫っているのにもかかわらず、ビデオを手放さないで必死に撮影し続けるバカな男。
でも、さすがに巨大な十手で怪獣に迫っていくバカはいないでしょう。
そうか?俺は好きだぜ、意味もなく、こういうバカでかい十手をつくってしまったヤツ。
意味もなく、「クローバーフィールド」をつくってしまったヤツもね。


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「モンゴル」:上野広小路バス停付近の会話

2008-04-05 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

広小路っていうわりに狭くない、このへんって?
そうか?
モンゴルの大平原とかと比べると狭い、狭い。
って、比べるものが悪いんじゃないの?
そうかしら。でも、悪くなかったわよ、映画の「モンゴル」は。
ゲッ。意外な感想。まだテムジンって名乗っていた若き日のチンギス・ハーンの物語なんだけど、血で血を洗う抗争がこれでもかと続く大味な歴史劇なんで、お前の趣味には合わないんじゃないかと思ってた。
たしかに、コマ落とし風に血しぶきが飛び散る戦闘場面は、「プライベート・ライアン」ばりの映像スタイルで少々うんざりしたけど、観終わった後の印象としては、「トゥヤーの結婚」に通じるところがある、興味深いモンゴル映画だったわ。
いや、これはまた、ますます意外なことを言う。「トゥヤーの結婚」は現代の内モンゴルに暮らす一人の女性の物語で、かたや、「モンゴル」は世界の英雄チンギス・ハーンの物語だぜ。
チンギス・ハーンの物語として観ると、浅野忠信がモンゴル語で好演しているとはいえ、通りいっぺんの話にしか見えないけど、彼の妻ボルテの物語として観ると「トゥヤーの結婚」の主人公との共通点が見えて、結構興味深いって言ってるのよ。
共通点なんてあったか。
だって、十歳にして九歳のテムジン、後のチンギス・ハーンに「私を妻に選びなさい」って言うし、人質にとられると見張りを殺しちゃうし、テムジンが幽閉されるとはるばる助けに行っちゃうし、他の男との間にできた子に平気で「テムジンがお父さんよ」って言っちゃうし、これだけのたくましさはモンゴルのような広大な大地に根を張って生きている女性じゃないとなかなか出てこないわよ。
まあ、そういう意味では「トゥヤーの結婚」のパワフルな主人公と同じような資質を持っているって言えるのかもしれないな。
虫も殺さないような素朴な顔はしてるけど、度胸が座っていて、浅野忠信のテムジンなんて、完全に尻にひかれてるご主人って風情よね。
いや、それは言い過ぎだろう。ちゃんと妻を救うために八面六臂の活躍をする場面もあるし、なにしろ、後のチンギス・ハーンだぜ。世界の覇者だぜ。
世間的にどんなに偉かろうと、女にとっちゃあ、ただの男に過ぎないの。
あちゃあ、お前にかかると、世界の浅野も俺たちと変わらない、ひよわな男に見えてくるなあ。いっそ、お前もモンゴルに住むか。
あ、それ、いいかも。浅野さんにモンゴル語を習えるなら。
ありえねー。
でも、正確に言うと、「トゥヤーの結婚」は中国人が監督した映画、「モンゴル」はロシア人が監督した映画なのよね。
ああ、そろそろ、本当のモンゴル人が撮った映画も観てみたいな。
ほんとに広い広小路が見たいようにね。
あ、まだこだわってる?


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「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」:湯島三丁目バス停付近の会話

2008-04-02 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

なんだ、この輪っかは?
湯島天神の茅の輪よ。
茅の輪?
茅草で作られた大きな輪をくぐると罪が祓われるらしいわよ。毎年6月に行われる行事なんだって。
湯島天神て、学問の神様かと思っていたけど、こういうこともやっていたのか。
連合赤軍の学生たちの中にも、学問が成就しますようにって、湯島天神に祈った人もいたかもしれないのに、この茅の輪はくぐらなかったのかしら。
もっと罪は深いってことだろう。
でも、最初の動機はきっと、世の中をよくしたいっていう、学生らしい純粋な動機だったのよね。なのに、あんな陰惨な事件に発展してしまって、不幸としか言いようがないわ。
1972年のできごとだから、36年前かあ。映画は、事件に至る経緯を安保闘争から始めて淡々と描いているんだけど、3時間10分という長尺にもかかわらず一時も目が離せない。
監督の若松孝二は、実際、連合赤軍とも関わりがあったらしいけど、自分の思いを伝えるというよりも映画のプロとしてきちんと事実を伝えようとするスタンスが見えていた。
当時観ていたら、一部の過激な学生たちが起こした特異な事件だと思っただろうけど、いま観てみると、いつの時代でも起こり得る、もっと普遍的なできごとだったって気がしてくる。
どういう意味?
思想や信条がどうかっていう以前に、世界から孤立した集団には独裁者が現れ、不条理な論理にとらわれたヒステリックな組織になっていかざるを得ないってことだ。
ヒットラー、スターリンから、チャウセスク、オウム、北朝鮮までを思い出させるもんね。
ああ、集団の大きさに関係なく、煮詰まった人間たちが集まると必然的にああ言う力学が働いていくんじゃないかって恐ろしくなった。
共産主義にかぶれたっていうより、世界から孤立していたってことが大きな問題だったのね。
その自覚が、集団の内部にいるとできなくなる。
そういう意味で、すでにあの連合赤軍はミニ共産国家になっていた。
「自己を共産主義化するために総括する」なんて言いながら、意味のない内部虐殺を繰り返すんだけど、その行為自体が、じゅうぶん共産主義化されているっていう、滑稽な構図が見えてくる。
「総括」なんて、じつにあいまいなことばを使って、客観的に見ると冗談にしか思えないんだけど、それを指摘できる空気がない。
学校のいじめと同じ構図だよな。自分たちだけで集団をつくって外界との接触がないから、何が正しくて何が間違っているのか判断できなくなってしまう。
高校生で連合赤軍に参加した少年が最後にひとこと叫ぶんだけど、あのひとことにすべてが集約されるわよね。
ああ、映画の主張らしきものが見えたのはあそこだけなんだけど、それだけに胸にジンと響く。
実際にああいうことを言ったのかしらね。
うん、いいセリフではあるんだけど、あまりに決まりすぎて、ほんとはあんなことは言ってないんじゃないかっていう疑問がふと頭の隅に浮かんでしまうのも事実だ。
あんな残虐な事件を起こしたのに、みんなひきしまったいい顔をしているっていうのも何か不思議よね。
俳優たちが本気で取り組んだってことだろうけど、きりっとした表情はシャキッとしない今の若者たちに見せてやりたくなる。
やったことは間違いだけど、世の中を変えようというエネルギーは否定されるものではないってことかしら。
いまの若者にああいう形で社会に対峙しろとは言わないけど、せめて年金問題くらい声を大にして怒ってもいいんじないのか。
あ、さすがは年金世代らしい発言。
おいおい、待てよ。俺はまだまだ年金世代には遠いぞ。昔の若者みたいに、自分のことより国家のことを心配しているんだ。
そんなこと言ってもだめよ。目じりのしわは、隠せないんだから。
それは、自分のことだろう。
それにしても、連合赤軍の映画といえば、「突入せよ!あさま山荘事件」があったけど、あれとははるかに違う映画よね。
あの映画は明らかにエンターテインメントをめざしていたからな。でも、あれは警察側から描いた事件、これは連合赤軍側から描いた事件と考えると、二本で全貌がわかるという言い方もできる。
どっちも実にくだらいことで内部論争をしていたりする。「実録・連合赤軍」でいうと、銃撃戦の最中にクッキーを食べた、食べないでもめたりして。
そういうのも含め、リアルな空気感が伝わってきて、胸が締めつけられる。
回想形式でないだけ、いっそう臨場感が増すわね。
なんといっても、悪しき戦争映画のように、現在年寄りになった人間が昔を回顧するっていうつくりにしなかったのが正解だった。
「男たちの大和」みたいに?
そう、そう。あさま山荘跡にたたずんであの頃を懐かしむ仲代達矢が出てきたりしたらどうしようと思ったけど、さすがそんな愚かなことはなかった。
これから湯島天神にお参りに来るような若者たちにこそ観てほしい映画よね。
二度と同じ過ちを繰り返さず、俺たちの老後を支えてもらうためにもな。
って、あなたの頭、やっぱり年金世代になってる。


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