【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「クィーン」:東京湾合同庁舎前バス停付近の会話

2007-04-26 | ★虹01系統(浜松町駅~ビッグサイト)

「綱吉の湯」って何だ?
温浴施設の「大江戸温泉物語」の犬部門。
犬部門?
そう。犬専用の温泉てことよ。
へー、そんなのがここにあるのか。それで「綱吉の湯」か。たしかに、徳川綱吉がいま生きていたら考えそうな施設だな。
まあ、ときの権力者っていうのは、何でもできるからね。
権力者ねえ・・・。英国王室の女王陛下っていうのも、権力者って呼ぶのか。
「クィーン」なんていう映画を観てると、権力者を装っている無力なおばあさんっていう言い方が正しいかもね。
ダイアナ王妃が事故死した直後の一週間の英国女王の言動をめぐる話なんだが、当初、ダイアナはもう離婚したあとで王室とは関係ないという立場で、女王は何のコメントも出さなかったのに、国民感情が許さず、結局屈辱のうちに哀悼の意を述べることになるという物語。
首相になったばかりのブレアが、女王に忠告したりするんだけど、女王は自分は首相に忠告する立場で忠告される立場じゃないという強気の姿勢を崩さない。
ただの強がりなんだけど、その強がりを通すのが王室だというゆるぎない信念がある。王室の歴史を背中に背負っているんだ。
でも、国民の反応を知るにつけ、その信念が揺らいでくる。
王室の威厳を保つためには、女王がとった態度のほうが正しいんだろうが、あのとき、ダイアナを悲劇のヒロインに祭り上げた英国国民の動きは、集団ヒステリーのようになっていったからな。理屈の通る冷静な状況じゃなくなっていた。
王室としての尊厳を保つなんてことに、誰も耳を貸さない状態になっていたってことね。
逆にいえば、国民の声が届かないほど、王室が硬直化していたともいえる。
あら、私たちにしては珍しく、筑紫哲也のニュース23の解説者みたいな社会派の会話になってない?
たまには知性のあるところも見せなきゃな。フィクションなんだけど、当時のニュース映像をうまく取りこんでいるから、臨場感というか、緊張感というか、話にリアリティが加わって、なんともいえない存在感のある映画になった。
しかも、主役のヘレン・ミレンがいかにもそれらしい雰囲気で女王を演じているから、いっそ高級な再現ドラマみたいな趣も出たわね。
我々アジアの片隅の、英国女王なんて遠い存在の日本人が見ても、実物の女王にそっくりだなあ、って思うんだから、アカデミー賞を取ったのも当然かもな。
イッセー尾形が演じた天皇陛下みたいなものね。
太陽」だろ。でも、あの映画は初めて天皇を人間的に描いたって話題になったけど、まだ我々とは違う色の血が流れているんじゃないかと思わせるところがあった。それに対して「クィーン」は女王だって我々と同じ赤い血が流れている人間だというスタンスの映画だった。
嫉妬もすれば、悪態もつく。
自分で車を運転してどこへでも行く、犬好きのおばあちゃん。綱吉の湯なんて見たら飛び上がって喜んじゃうんじゃないか。
やはり、英国と日本じゃ王室に対する距離感が違うのかしら。ブレア首相と女王の丁々発止のやりとりなんて、日本でいえば、小泉前首相と天皇陛下のやりとりみたいなもんでしょ。そんなものを映画にするなんて恐れ多くて絶対できないと思うけど。
太陽」だって、結局日本ではつくれず、ロシア映画だったもんな。日本と西洋とは、王室に対する考え方とか接し方とかが歴史的に違うのかもな。
それにしたって、こんなに王室の姿をあけっぴろげに描いた映画によく上映の許可が出たわね。まだ実在の女王なのよ。
でも、女王陛下もいろいろあってつらいんだなあ、というのが伝わってきて、近親感が沸く。かえってこの映画によって王室の人気が上がったんじゃないのか。
そうね、今度女王が日本に来たら大江戸温泉物語でゆっくり手足を伸ばしてもらいたいわね。
愛犬たちは綱吉の湯でな。


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ふたりが乗ったのは、都バス<虹01系統>
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