【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「フィクサー」:三筋二丁目バス停付近の会話

2008-04-23 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

刃物研磨所?いつ誰に襲われるかわからないし、俺たちも刃物を研いでおくか。
なに、物騒なこと言ってるのよ。そんな目にあう心あたりがあるわけ?
「フィクサー」とか観てると、いつ襲われても不思議じゃない気がするじゃないか。
あれは、敏腕弁護士と大企業の幹部が争う話じゃない。私たちのような庶民にはしょせん関係のないことよ。
そんなことはないだろう。そもそもの発端は、大企業の被害者による集団訴訟なんだから。原告は俺たちと同じ庶民だぜ。
でも、その原告の影は薄くて、エリートたちだけがうごめく話だから、ちょっと他人事のような気がしちゃったな。
そうだな。発端となる事件にもう少し、新味なり切実感が感じられるとよかったかもしれない。
悪徳弁護士が正義にめざめて大企業の幹部の不正を告発していくなんて話、よくあるもんね。
その悪徳弁護士を演じるのがジョージ・クルーニー。対する大企業の幹部を演じるのがイギリス女優のティルダ・スウィントン。
出世や名誉のためなら手段を選ばない女性。裏で殺し屋を雇って邪魔者を消していく。
でも、脇の下には汗をいっぱいかいたりして、肝が座っているわけでもない。
ああいう女性が自分の脇の下の汗を気にするなんてシーン、映画で初めて観たような気がするわ。ティルダ・スウィントンは、あれでアカデミー賞を獲れたのかしら。
あれがほんとの“脇役”か?
私も脇の下には気をつけなくちゃ。
って、こんなところで腕を上げるな!
脇の話は脇に置いておいても、ティルダ・スウィントンはエリート女性ならではの神経質な感じがとってもよく出ていた。女性が出世するって大変なんことなんだなって、つくづく思ったわ。
お前には関係のない世界だけどな。
わからないわよ。いつ、なんどき、邪魔者を消そうと思うか・・・。
ほーら、やっぱり、刃物は研いでおかなくちゃ。ジョージ・クルーニーは、たまたま助かったけど。
そうよね、ジョージ・クルーニーは、たまたま助かっただけだもんね。
そう、そう。物語的には、あくまで偶然助かっただけなんだけど、ああいう助かり方って、何かとても今風な感じがして新鮮だった。
どうして?
去年の映画「クイーン」で女王が鹿と出会ったシーンを覚えているか。
覚えているわよ。ただ、鹿と会うだけで、物語にからんでくるわけじゃないんだけど、とても印象的なシーンだった。あれをきっかけに女王の中で何かが変わったような・・・。
ジョージ・クルーニーが助かるシーンもあれと同じで、物語の外側にあるものに、なにか天の啓示を受けたために助かってしまったという風にも見えるんだ。
え、どういうこと?
説明しづらいけど、なにか自分の来し方行く末を考えさせるような精神の彷徨・・・。
なに、タルコフスキーの映画を観たときのようなことを言ってるのよ。
まさに、あのシーンは、見方によってはタルコフスキーの映画のようでもあった。
飛躍しすぎよ。いくらジョージ・クルーニーがタルコフスキーの名作「惑星ソラリス」のリメイクに出ていたからって。
しかし、わかりやすさを旨とするアメリカ映画で、重要なポイントにああいうシーンを登場させるなんて、画期的なことだと思わないか。
なるほど。そういう見方もできるのか。でも、もっとストレートにわかりやすいほうがよかったんじゃないの?
やっぱり、刃物で解決するとか?
だから、それは物騒だって言うの。心の刃を研いでおくっていうのはどう?
なあるほど。お前らしい、よくわからない意見だ。


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