Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本常一「忘れられた日本人」

2018年09月20日 | 読書
 友人と3か月ごとに開いている読書会が今月ある。テーマは交替で選んでいるが、今月のテーマは友人が選ぶ番で、友人が選んだのは宮本常一の「忘れられた日本人」。宮本常一の著作を読むのは、わたしは初めてだった。

 最初はゆったりとしたテンポについていけなかったと、正直に言わなければならない。とくに「名倉談義」(「忘れられた日本人」は全13話からなっており、「名倉談義」はその一つ)に含まれる老人4人の昔語りは、テンポのゆったりさが際立っていた。

 だが、最後まで一通り読んだ後で、印象深かった話をいくつか再読する中で、「名倉談義」をもう一度読むと、そのテンポが不可欠であり、なんとも言えない味があることに気が付いた。そのテンポだからこそ語られた昔の出来事とか生活とかの、そのディテールが大事だと分かった。

 「名倉談義」の昔語りを読んでいると、老人一人ひとりの個性が感じられる。テープ起こしのような記述だ。取材はいつだったのか、わたしの読んだ岩波文庫には明記されていないが、たぶん戦後間もない時期ではないか。ともかく文庫本で23頁にわたる長い昔話なので、テープを取っておかないと、これほど正確に一言一句を再現することは難しいと思うのだが。

 でも、テープを取っていたとしても、4人の個性をこれほど生き生きと滲ませるのは、宮本常一の文才だろう。その意味でも驚嘆した。

 「名倉談義」は本書の性格を端的に表しているので、まず「名倉談義」に触れたが、わたしがもっとも強烈な印象を受けたのは「土佐源氏」だ。土佐の山中の橋の下で粗末な小屋に住んでいる盲目の乞食の老人の話。若い頃は馬喰をしていた。その頃の女性遍歴が語られる。

 一読して驚き、再読してまた驚いた。あけすけな性の話。エロ話とか猥談とか、そういうレベルに止まらず、昔の日本の習俗とか民衆のエネルギーとか、そんなことを感じさせる。わたしは大学生の頃に見た今村昌平監督の映画「神々の深き欲望」を想い出した。「土佐源氏」にはそれに加えてユーモアもある。(※)

 もう一つあげると、「梶田富五郎翁」も印象深かった。幼い頃に両親に死なれ、みなしご同然となった梶田翁は、漁船に乗って対馬に通ううちに、その原野を切り拓き、船着き場を作り、やがて人々が住みつくようになり、村ができるに至った。それまでの苦労話。日本の近代化の歩みの、その底辺で無名の人々が歩んだ苦難の道がしのばれた。

(※)追記
 偶然ながら、当ブログをアップした今朝(9月20日)の日経新聞文化欄に、「土佐源氏」を一人芝居にして全国で演じ続けている坂本長利氏の手記が載っていた。今88歳だそうだが、お元気だ。なお「土佐源氏」については、井出幸男氏の「宮本常一と土佐源氏の真実」(梟社)という興味深い著書がある。また木村哲也氏の「『忘れられた日本人』の舞台を旅する」(河出書房新社)でも触れられていて参考になる。

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