Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

夏目漱石「硝子戸の中」

2022年04月03日 | 読書
 先日、早稲田の漱石山房記念館を訪れた。館内とその周囲を見学するうちに、漱石の随筆「硝子戸の中」を思い出した。その余韻が消えないので、久しぶりに読み返した。たぶんこれで3度目だと思う。

 「硝子戸の中」は漱石山房記念館がたっているその場所で書かれた(記念館は漱石の家の跡にたっている)。記念館には漱石の書斎が復元されている。畳十畳くらいだろうか。文机と火鉢が置かれ、本が山積みになっている。漱石はそこで「三四郎」も「こころ」も「明暗」も、要するに「猫」などの初期作品以外はすべて書いた。書斎には硝子戸がはめられ、その先には外廊下があった。漱石は硝子戸越しに外を眺めた。「硝子戸の中」という書名の所以だ(「中」は「うち」と読む)。

 「硝子戸の中」は39編の随筆からなる。各編は400字詰め原稿用紙で3~4枚だ。1915年(大正4年)1月13日から2月23日までの朝日新聞に連載された。漱石は初回(「一」)に、勤め人が駅で新聞を買い、電車の中でそれを読み、ポケットに丸めて役所や会社に入るというシチュエーションを想定している。「硝子戸の中」はいまでいうと、新聞のコラムのようなものだ。

 なので、基本的には気楽でユーモラスな文章だ。だが、わたしは恥ずかしながら、今度初めてそのことに気付いた。いままではどこか暗いイメージをもっていた。漱石は「硝子戸の中」を書いた翌年(1916年、大正5年)に亡くなった。そのせいかどうか、死にまつわる話が多い。だから暗いイメージをもったのだろうか。異色なのは、亡き母の想い出を綴った「三十七」と「三十八」だ。甘美な思慕の念が溶けて流れる。全体の暗さの中でそこだけが色彩をもつ――それがわたしのイメージだった。

 だが、そのイメージは偏っていたようだ。わたしは漱石のユーモアを捉えきれていなかった。たとえば「三十一」と「三十二」に子どもの頃の友達の「喜いちゃん」が出てくる。その話は記憶に残っていたのだが、今度初めてその話が、漱石の意地っ張りな性格を戯画化して描いたものだと気付いた。

 「三十」では「継続中」という言葉が出てくる。すべての人々の「心の奥には、私の知らない、又自分達さえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか」という(引用は新潮文庫より)。そのテーマは「硝子戸の中」の次に書かれた小説「道草」に引き継がれるわけだが、引用文は続けて「もし彼等の胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼等は果たしてどう思うだろう」という。この「破裂」とはなんだろう。その先を読むと、「死」かもしれないと思うが、そう割り切ってしまうには、書き方が少々入り組んでいるようにも思う。

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