Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

外山雄三さんを偲ぶ

2023年07月14日 | 音楽
 指揮者・作曲家の外山雄三さんが7月11日に亡くなった。慢性腎臓病だった。享年92歳。ご冥福を祈る。

 すでに多くの音楽ファンに知られている出来事だが、外山さんは5月27日のパシフィック・フィルハーモニア東京の定期演奏会を振った。曲目はシューベルトの交響曲第5番と第8番「ザ・グレート」だった。外山さんは3日間のリハーサルと当日午前中のゲネプロを無事終えたが、午後になって体調を崩した。本番では1曲目の第5番は指揮者無しで演奏し、第8番「ザ・グレート」は外山さんが振ったが、第4楽章で外山さんが倒れた。外山さんは楽屋に運ばれた。演奏は指揮者無しで最後まで続いた。カーテンコールでは外山さんは車椅子にのって現れたが、やつれた表情を見せたそうだ。

 その出来事があった直後、音楽ファンの一部からは、「たとえ外山さんが振るといっても、まわりは外山さんを説得して、思いとどまらせるべきだった。外山さんに万が一のことがあったらどうするんだ」という声が出た。それは正論かもしれないが、いま思うと、外山さんはすべてを悟ったうえで、それでも振りたかったのかもしれない。外山さんの思いを叶えたことは良かったのではないかと思う。

 わたしは1974年の春季のシーズンから日本フィルの定期会員になったが、分裂の傷跡が生々しい当時の日本フィルを支えた指揮者のひとりが外山さんだった。定期演奏会はもちろんのこと、当時行われていた「ガンバレ!日本フィル」コンサートを振ることもあった。

 その中でとくに記憶に残っているのは、1975年のハチャトゥリアンの来日コンサートが、本人急病のため来日中止になり、外山さんが代わりに振ったことだ。争議中の日本フィルにとっては大打撃だったが、ともかく外山さんが代役を引き受けて、演奏会は開かれた。わたしも聴きに行った。「ガイーヌ」組曲の中の「レズギンカ」の歯切れのいいリズムがいまでも耳の底に残っている。

 外山さんの交響詩「まつら」が日本フィル恒例の九州公演で初演されたのは1982年だった。外山さんへの新作委嘱にあたっては、募金が呼びかけられた。わたしも応じた。当時は市民の募金が生んだ新作という実感があった。

 日本フィルの争議は1984年に和解が成立した。それを祝う「日本フィルおめでとう」コンサートが東京厚生年金会館で開かれた。2部構成になっていた。第1部は争議を支援した多くの人々が祝意を述べるバラエティ豊かな内容だった。第2部は本格的なコンサートだった。その第2部(だったと思う)で外山さんは「運命」交響曲を指揮した。外山さんらしく(お祭り騒ぎでは終わらない)立派な演奏だった。

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