Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

石川淳「焼跡のイエス」「マルスの歌」

2018年06月24日 | 読書
 大学時代の友人との読書会のテーマ、石川淳の「焼跡のイエス」を読んだ。本作は1946年(昭和21年)10月の発表。敗戦直後の闇市の空気を内包している。時は1946年7月31日と8月1日、所は上野の闇市と上野の山と明確に規定されている。その時とその所とが重要なのだ。上野の闇市は7月31日をもって閉鎖された。闇市の最後の日の出来事を描いた作品。

 当時の上野には(上野に限らず、各地には)戦争孤児があふれていた。わたしは、たまたま昨年、田沼武能の写真集「東京わが残像1948‐1964」(2017年、クレヴィス刊)を読んだ。そこに写っている戦争孤児たちは衝撃的だった。かれらはボロボロの服をまとい、土埃に汚れて、路上生活をしていた。生きていくためには、盗みや追剥だってしたかもしれない。

 本作では、そんな戦争孤児の一人が、上野の闇市に現れる。戦争孤児の中でもとびきり汚く、頭から顔にかけてはデキモノとウミだらけの少年。闇市の喧騒を行き交う大人たちでさえ気味悪がる。その少年が闇市で起こす事件と、その後の上野の山での出来事に、作者は思いもよらない聖なるあかしを見る。

 闇市の猥雑さと喧騒、一言でいってカオスが、イエスが布教活動を行ったガリラヤの状況に重ねられる。イエスが出現したのは、まさにこのような状況下だったろう。闇市はその状況の再現だ、と。その指摘が鮮烈だ。

 わたしが読んだのは講談社文芸文庫だが、同書には他に「山桜」、「マルスの歌」、「かよい小町」、「処女懐胎」そして「善財」が収められている。それらの中では「マルスの歌」に惹かれた。

 「マルスの歌」は1938年(昭和13年)1月に発表されたが、反軍国調だとして発禁処分を受けた。だから、といってもよいと思うが、戦時中の重苦しい空気が濃厚に漂っている。その結論部分を引用してみよう。

 「『マルスの歌』の季節(引用者注:戦時中)に置かれては、ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごくのであろうか。この幻灯では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう。ひとびとを清澄にし、明確にし、強烈にし、美しくさせるために、今何が欠けているのか。」

 本来は結論部分ではなく、ディテールが大事なのだろうが、ともかく、世の中すべてが歪んで、息苦しい時代の空気が捉えられた作品。その時代感覚というか、皮膚感覚が、今の社会情勢にあって、妙に生々しく感じられる。

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