Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ユダス・マカベウス

2008年12月08日 | 音楽
 来年はヘンデルの没後250年に当たるので、今からいくつかの企画が進行中だ。その一つの東京オペラシティ+バッハ・コレギウム・ジャパンによる「2007→2009ヘンデル・プロジェクト」の一環として、昨日、オラトリオ「ユダス・マカベウス」が演奏された。ヴィヴラートをつけない声と楽器による澄んだハーモニーに身を浸しながら、私はこの時間がいつまでも続いてほしいと思った。

 ヘンデルはロンドンに出てオペラで成功し、やがて人気が凋落すると、オラトリオに転進した。そうやって興行収入で生活した人だ。あらためて考えると、この時代には珍しい先駆的な生き方の人だった。ロンドンという街がそうだったと言ってしまえばそれまでだが、同時代のバッハは言わずもがな、曾孫くらいに当るモーツァルトやベートーヴェンと比べても近代的だ。
 そのことにより私たちには、オペラとオラトリオの両分野で、豊かな量の作品が残された。私たちはそれを感謝しなければならない。

 ヘンデルのオペラは、A-B-Aのダカーポ・アリアの連続だが、一見単純にみえるその音楽が、じっくりきくと、実は変化に富む音楽だと分かってくる。表面的には単純だからこそ、少しの変化が重要な意味をもってくるのだ。
 オラトリオになると合唱の比重が高まり、音楽はさらに陰影を増してくる。「メサイア」のハレルヤ・コーラスが代表的だが、抜けるような明るさをもつ合唱は、他には類例がない。そのような合唱と独唱の均衡がオラトリオの真髄だ。

 「ユダス・マカベウス」は、旧約聖書の外典を素材にして、ユダヤ民族の自由と宗教を守るために、抑圧に抗して立ち上がるマカベウスのユダの物語だ。2度の戦いとその勝利をえがいた単純な筋書きだが、全部で68曲ある独唱や合唱(数え方によって曲数は異なる)はすべて特徴がある。
 たとえば、2度目の戦いに立ち上がるときの合唱は、雄々しい叫びを上げるAの部分にたいして、ふっと不安になって「もし敗れることがあれば、それは法と信仰と自由のため」と歌うBの部分になると急に影がさす。昨日の演奏では、こういう曲想の変化がよく出ていた。

 指揮者でオルガンおよびチェンバロ奏者の鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを結成したのは1990年だというから、かれこれ18年たつ。この間の演奏水準の向上は目覚しい。私たちは今、その成果を享受できる幸せを得ている。
 昨日の独唱者は、日本人歌手3人のほかに、マリアンネ・ベアーテ・キーラントというメゾ・ソプラノ歌手が招かれていたが、すばらしいパワーがあった。
(2008.12.07.東京オペラシティ・コンサートホール)

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