Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

フラワリング・ツリー

2008年12月07日 | 音楽
 現代アメリカの人気作曲家ジョン・アダムズのオペラ「フラワリング・ツリー*花咲く木」を東京交響楽団が演奏会形式で上演した。指揮は大友直人、3人の独唱者は外国から迎えて(そのうちの2人は2006年の初演メンバー)、合唱は東響コーラス。演出はこのオペラの共同制作者ともいうべきピーター・セラーズ。

 このオペラは2006年のモーツァルト生誕250年記念プロジェクトとして制作された。題材は南インドの民話からとられ、それをジョン・アダムズとピーター・セラーズが台本にしている。貧しい娘クムダと王子との愛の物語で、この2人のほかに語り部が登場して話をすすめる。合唱はギリシャ悲劇のコロスのようにさまざまな役柄を演じる。
 このような構成なので普通のオペラとはちがって、むしろ音楽劇というべきかもしれない。でも、21世紀に入って何年もたった今、いまだに昔のオペラの概念にしがみつくのもどうかという気がする。思い切って、これもオペラだと言ってもいいだろう。

 この作品はモーツァルトの「魔笛」を現代に蘇らせたものと宣伝されているが、それはキャッチコピーのようなものだと割り切ったほうがいいだろう。話の筋も、テーマも、音楽も、モーツァルトとはまったく関係がない。話の筋は、世界中に類例のある素朴な民話だ。テーマは自然環境の破壊と保護が中心だ。音楽は、明るく、明快で、たえず何かが動いているジョン・アダムズ特有のもので、とくにこの作品では実験的なところは影をひそめて、手慣れた書法が前面に出ている。
 ピーター・セラーズの演出は、3人のジャワ舞踊手を登場させ(この3人も2006年の初演メンバー)、クムダの分身、王子の分身、その他のさまざまな役柄の分身を演じさせている。ゆっくりした動きの優美な舞踊は、登場人物の心理の表現にとどまらずに、欧米とアジアのメンタリティのちがいを際立たせて、その先には異文化共存のメッセージが感じられる。

 ピーター・セラーズは、2003年3月に東京交響楽団が演奏会形式で上演した、同じくジョン・アダムズの「エル・ニーニョ」でも演出を担当した。この作品は2000年のミレニアム企画として制作された現代の聖霊降誕の物語だが、その演出はスクリーンに現代アメリカのヒスパニック社会の映像をながし、マイノリティの悲しみを浮かび上がらせていた。
 ジョン・アダムズも社会問題に敏感で、9.11の同時多発テロの犠牲者のために書いた合唱曲On the Transmigration of Souls(魂の転生論)は感動的な現代のレクイエムになっている。2人ともジャーナリスティックな感覚をもちあわせているのだ。

 演奏は、オーケストラ、3人の独唱、合唱、いずれもすぐれていた。とくに合唱は、おそらくアマチュアの人たちなのだろうが、全員暗譜で、甘えのない、一種のきびしさを漂わせた見事なものだった。
 (2008.12.06.サントリーホール)

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