Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2022年04月23日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会は、三善晃の「交響三章」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(第2稿1878/80年、コーストヴェット版)という異色の組み合わせ。両者の対比が鮮やかな演奏だった。

 三善晃の「交響三章」では緊張した音が鳴った。とくに変拍子が連続して猛スピードで駆け抜ける第2楽章が、手に汗握るスリリングな演奏だった。「交響三章」は三善晃の出世作だが、その前に「交響的変容」を書いているせいか、「交響三章」では無駄がなく、しかもみずみずしい感性が脈打っている。才能あふれる若手の、その才能がまぶしく、かつ堂々と表出された曲だ。

 当夜はコンサートマスターにゲストの荒井英治が入った(荒井英治は同団の特別客演コンサートマスターの称号をもつ)。これは良い意味でいうのだが、「交響三章」はいかにも荒井英治が好きそうな曲だ。演奏全体が生き生きしたものになった功績の一端は、荒井英治にあったかもしれない。

 休憩後のステージを見て驚いたのだが、木管、金管、打楽器がステージの床面に配置されている。山台に乗っていない。対抗配置の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの、後方2プルトだけが山台に乗っている。これで響きがどう変わるかと、興味津々だ。結論からいうと、木管、金管、打楽器が、直接音として客席に届かずに、弦楽器とブレンドされて届く(言い換えれば、オーケストラ全体がゆるやかに一体となって鳴る)ような感覚があった。

 その音は明らかに意図されたもので、しかも今回のブルックナー演奏と表裏一体をなすものだった。高関健の演奏スタイルの基本は、張りのある音と、明確なアーティキュレーションにあると思うが、そのスタイルから脱皮して、今回のブルックナーでは、縦の線を合わすことにこだわらずに、ゆったりとした流れを重視し、その中でフォルテの部分を、大波が盛り上がるように充実した響きで鳴らす、という演奏スタイルをとった。

 高関健の新境地かどうかは、まだわからないが、ともかく今回、新ブルックナー全集のコーストヴェット版を使うにあたり、高関健はプログラムに寄せた一文を、次のように結んでいる。「しかしでき得るならば、細部だけに捕らわれることなく、ブルックナーの真意に迫る演奏を目指したいと考えている」。その思いの表れであることはまちがいないだろう。

 高関健は東京シティ・フィルの常任指揮者として8シーズン目に入った。オーケストラとの関係の熟成とともに、チャレンジングな姿勢に変わりがないことが頼もしい。
(2022.4.22.東京オペラシティ)

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