Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラザレフ/日本フィル

2017年10月28日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルの東京定期は、グラズノフの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第1番という地味なプログラムだが、グラズノフもショスタコーヴィチもラザレフが継続的に取り上げている作曲家なので、このようなプログラムも可能となり、また意義も増すようだ。

 グラズノフは以前、交響曲第5番が演奏されたが、ラザレフはかつて読響でも第5番を演奏したことがあり、わたしは第5番を聴くのはそのときが初めてだった。その印象は今も鮮やかに残っている。一方、第4番は読響でやったかどうか。わたしが聴くのは初めてのような気がする。

 全3楽章からなるが、とりわけ第1楽章がロシア情緒たっぷりだ。その深々とした情緒はロシアの指揮者でなければ出せない性質のもの。ラザレフの本領発揮だった。第2楽章以下は民族的な明るい楽想になるが、第3楽章の後半で第1楽章の主題が回帰する。全体として第5番と互角の名曲だと思う。

 プログラム・ノーツを読んでいて気が付いたが、グラズノフはシベリウスやニールセンと同年生まれ(3人とも1865年生まれ)。フィンランドやデンマークとロシアとでは、音楽的な蓄積が違っていたとは思うが、グラズノフの歴史的な立ち位置をイメージする上で示唆的だ。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第1番。第1楽章冒頭のトランペットのテーマからして、ひじょうに抑えた音量で始まり、以下、ピアノ、ピアニッシモが多用される。息をひそめるような緊張感。きわめてシリアスな表現。スケルツォ楽章の第2楽章も、おどけた表情は皆無。第3楽章以下は言わずもがな。

 全体を通して、曲の隅々まで掘り下げ、すべてを表現した演奏。ラザレフのショスタコーヴィチは今までも第4番、第6番、第8番、第9番、第15番など、忘れられない名演があるが、この第1番もそれらの名演に連なる演奏。わたしは震えるような感動を覚え、終演後、少し涙腺がゆるんだ。

 いうまでもないが、第1番は19歳のショスタコーヴィチがモスクワ音楽院の卒業制作に作曲したものだが、ラザレフの演奏で聴くと、人が一生をかけて辿りつく究極の作品のように感じられた。そこから出発したショスタコーヴィチは、なんという天才だったのだろう。そのような格別の天才には、運命は普通の人には耐えられない試練を課すようだ。ちょうどベートーヴェンがそうだったように。
(2017.10.27.サントリーホール)

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