Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

音響空間

2008年08月26日 | 音楽
 毎年恒例のサントリー音楽財団「サマーフェスティバル2008」でジェラール・グリゼーの「音響空間」が演奏された。指揮はピエール=アンドレ・ヴァラド。すでにこの曲のCDを出している。ヴィオラ独奏はミシェル・ルイリーという人で、チューリヒ・トーンハレ・オーケストラのソロ・ヴィオラ奏者。オーケストラは東京フィル。そのほかに都内のオーケストラから4人のホルン奏者が参加した。

 グリゼーは1946年生まれのフランスの作曲家で、1998年に亡くなった。今年は没後10年。そこで今回の演奏会が企画されたとのこと。私がグリゼーの音楽を生できくのは初めてだ。大変面白い。感想をかく前に、まずこの曲の基本データを記しておこう。この曲は次の6部からなっている。
(1)プロローグ ヴィオラのための(1976)
(2)周期 7人の奏者のための(1974)
(3)部分音 18人の奏者のための(1975)
(4)変調 33人の奏者のための(1978)
(5)過度状態 大管弦楽のための(1981)
(6)エピローグ 4つのホルンと大管弦楽のための(1985)
 (3)と(4)の間に休憩が入る。プログラムに記載されている夏田昌和(グリゼーに師事した作曲家)の解説によると「幕間」だそうだが、20分の休憩によって、連続して奏者が増えていく流れが途切れてしまった。一息入れる程度で済ませることはできないか。

 グリゼーの音楽は、倍音のスペクトル解析に基礎をおいているという(注)。この曲の場合はE音(ミ)の倍音に基づいてかかれている。その作曲方法がもっとも衝撃的に現れてくるのは(5)の中程、大管弦楽によってE音の倍音が合成される部分である。それはあたかも巨大な積乱雲が巻き上がってくるかのようである。
 さらに(6)は全編にわたってE音が持続される。低音域のE音にのって、4本のホルンが(1)冒頭のヴィオラ・ソロによる音型をパロディックに吹奏する。それはあたかも単音の上で繰り広げられるパッサカリアのようだ。

 倍音のスペクトル解析が、縦系列の構成原理だとすれば、音楽を前に進める横系列の構成原理は、「緊張」と「弛緩」の周期的な交替である。音楽は弛緩した状態からはじまり、そこに一種の異分子がそれと気づかれずに入り込み、異分子が徐々に形をなして緊張状態をつくりあげ、その崩壊をへて弛緩にもどる。グリゼーの音楽は、弛緩と緊張の「推移」の音楽だ。その繰り返しは、私たちの生理と妙に合致する。

 演奏は前半の(2)と(3)が萎縮していて、感興に乏しかった。後半、(4)の途中からほぐれてきて、(5)と(6)は大胆さが加わった。全体を通して、さらに音の磨き上げが必要だ。この曲は、豊かな色彩感と硬質な透明感をもって演奏されるとき、その真価を発揮するはずだ。
(2008.08.25、サントリーホール)

(注)Wikipediaによれば、グリゼーは次のように説明されている。「音楽を音波として捉え、そこに含まれる倍音のスペクトルに注目し、大変論理的な作曲をした。そのため彼や彼のまわりの作曲家はスペクトル樂派と呼ばれる。」
 スペクトル樂派については、次のように説明されている。「音響現象を音波として捉え、その倍音をスペクトル解析したり理論的に倍音を合成することによる作曲の方法論をとる作曲家の一群。現在ではフランスの現代音楽の主流である。」

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