Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

北條民雄「いのちの初夜」

2020年08月22日 | 読書
 2019年6月に東京都東村山市の多磨全生園を訪れた。同園は全国に13か所ある国立ハンセン病療養所の一つだ。そこを訪れたのは熊本県の菊池恵楓園の中の絵画サークル「金陽会」の作品展を見るためだ。10人の方々の合計29点の作品は、各人の個性を生き生きと映していた。

 同展は多磨全生園の中の国立ハンセン病資料館で開かれた。作品展を見てから、わたしは同館を見て回った。ハンセン病とは何か、感染者とその家族への差別の歴史、ハンセン病の現状(ハンセン病はいまでは治療可能な病気で、日本ではほとんど発症例がなくなったが、世界ではまだ治まっていない)などが説明されていた。

 資料館を出て、わたしは敷地内を歩いた。いまでは一般に開放されているその敷地は、緑豊かで、静かな、すばらしい環境だった。食堂があるので、入ってみた。先客がいた。その人は何かの取材に訪れているようだった。わたしと入れ違いに出ていった。わたしは何種類かある定食の一つを頼んだ。しばらくすると老人が入ってきた。その人は入所者で、食堂の人とは顔なじみのようだった。食堂の人が「ね、明るく生きなくちゃね」というと、破顔一笑した。

 1年あまり前のこの話を思い出したのは、「ハンセン病文学全集1(小説一)」(加賀乙彦責任編集、晧星社刊2002年)で北條民雄(1914‐1937)の作品を読んだからだ。北條民雄は1933年にハンセン病を発症し(当時は「癩病」と呼ばれた)、1934年に多磨全生園(当時は「全生病院」)に入院した。入院後書いたそれらの作品は、すべて同病院が舞台だ。そこで描写された園内の様子は、いまの緑豊かな環境を彷彿とさせる。

 当時ハンセン病は不治の病とされた。家族から引き離され、終身隔離された。入所者は体が腐り、死を待つだけという恐怖と絶望の日々をすごした。北條民雄の作品はそういう日々をテーマとする。だが、そこにも自然の慰めがあり、また感動のドラマがあった。それらのエピソードを丹念に書いている。

 一番有名な作品は「いのちの初夜」だろう。著者自身と思われる「尾田」の入院初日を描いている。入院5年目になる「佐柄木」が尾田の世話をする。佐柄木は小説を書いている。わたしは、佐柄木は入院5年目の著者自身だろうと思った。5年の歳月をへた著者が入院初日を振り返っている、と。だが、予想は外れた。全集に収められた短編小説6篇を読んだ後、北條民雄の年譜を調べると、北條民雄は入院後3年で亡くなっていた。わずか3年の間にそれらの作品を書いたのだ(他にも全集に収められていない作品がある)。どれもうまく、また感性に触れるポイントが少しずつちがう。どの作品がお気に入りかは、読み手によってさまざまだろう。

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