Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

湯浅譲二の逝去

2024年08月06日 | 音楽
 作曲家の湯浅譲二(1929‐2024)が7月21日に亡くなった(写真↑はWikipediaより)。がっくりして元気が出ない。

 湯浅譲二の姿を最後に見たのは、5月28日に東京オペラシティで開かれたN響のMUSIC TOMORROW 2024のときだった。湯浅譲二の「哀歌(エレジィ)― for my wife, Reiko ―」が尾高賞を受賞し、その表彰式と演奏が行われた。湯浅譲二は体調不良が伝えられていたので、表彰式に出席できるかどうか危ぶんだが、車椅子に乗って現れた。ファンとしては姿を見せてくれただけでもありがたいが、だいぶ弱っていた。「哀歌(エレジィ)」は2曲目に演奏された。湯浅譲二は客席で聴いたようだ。湯浅譲二が演奏会場で自作を聴く、あれが最後の機会になったろうか。

 「哀歌(エレジィ)」は、2008年に玲子夫人が亡くなり、しばらく作曲ができなかった湯浅譲二が、メトロポリタン・マンドリン・オーケストラからの委嘱を受けて、玲子夫人の追悼のために書いた曲だ。そのため原曲はマンドリン・オーケストラのための曲だが、2023年に弦楽合奏とハープ、ピアノ、ヴィブラフォン、ティンパニのために編曲した。湯浅譲二の慟哭の想いが込められた曲だ。その感情の濃さに息をのむ。2023年の初演は杉山洋一指揮都響の演奏だった。それも良かったが、今度のペーター・ルンデル指揮N響の演奏も良かった。

 わたしは湯浅譲二の作品が好きだが、どれか1曲挙げることは難しい。あえていくつか挙げれば、「オーケストラの時の時」(1976)、「クロノプラスティクⅡ」(1999)、「クロノプラスティクⅢ」(2001)などになる。「クロノプラスティクⅡ」には「E.ヴァレーズ讃」、「クロノプラスティクⅢ」には「ヤニス・クセナキスの追悼に」という副題がつく。ヴァレーズとクセナキスは20世紀音楽で流派を作らなかった単独者だ。湯浅譲二もそれに連なるように思う。3人は誇り高き単独者たちだ。

 湯浅譲二の姿は演奏会でよく見かけた。80歳代になってからもよく見かけた。わたしは心の中でそっと敬意を表した。

 忘れられないエピソードがある。2014年に世田谷美術館で「実験工房」展が開かれた。関連プログラムで、中川賢一のピアノ・リサイタルが開かれた。曲目は武満徹のピアノ作品集とメシアンの「アーメンの幻影」(共演は稲垣聡)だった。会場には湯浅譲二も来ていた。予定外だったようだが、湯浅譲二が話をした。「アーメンの幻影」は実験工房が初演したそうだ。事前に秋山邦晴がある音楽評論家に来場を依頼したら、「ほう、メシアンか、有名になったら聴きに行くよ」といわれたそうだ。その音楽評論家は武満徹の「2つのレント」を「音楽以前である」と書いた人だ。
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