Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「亜欧堂田善」展

2023年01月26日 | 美術
 千葉市美術館で「亜欧堂田善」展が開かれている。わたしの家から千葉市美術館までは2時間近くかかるが、行ってみた。

 亜欧堂田善(あおうどう・でんぜん)といわれても、一体全体なんのことやら、わからない人も多いのではないだろうか。もちろんわたしもわからなかった。そこで少し調べてみると、これは江戸時代の洋風画家・銅版画家の名前であることがわかった。あの鎖国の江戸時代にも洋風画があり、銅版画があったわけだ。

 鎖国だったので、西洋人から洋画を学んだり、銅版画を学んだりすることはできないが、長崎の出島などから外国の書籍が入ってくるので、それを読み(外国語を解する人に訳してもらうわけだ)、そこに掲載されている図版を手本にして、やってみる。そのパイオニア精神といったらいいか、努力と工夫がすごいと思う。

 当時、そのようにして洋風画・銅版画の制作を試みた人は、何人かいたようだ。その一人が亜欧堂田善だ。田善は1748年に現在の福島県須賀川市で生まれ、1822年に没した(昨年は没後200年だった)。生家は農具商を営んでいたが、兄が紺屋を興し、田善も手伝った。その後、兄が没したので、田善が紺屋を継いだ。ところが1794年に(田善が47歳のときに)、田善の絵が白川藩主・松平定信の目に留まり、絵を学ぶよう命じられた。田善が本格的に絵を学んだのはそれからだ。

 本展のチラシ↑に掲載されている2枚の銅版画は、いずれも「東都名所図」に収められている作品だ。上は「二州橋夏夜図」。夏の夜の隅田川の花火を描いているが、それにしてもものすごい花火だ。花火というより、火薬の爆発のように見える。隅田川の花火を描いた当時の作例(浮世絵)は多数あるが、こんな描写は見たことがない。田善の目にはこう見えたのか。それとも意識的なカリカチュアか。

 下の作品は「品川月夜図」だ。品川の遊郭で夜の海を見つめる遊女を描いている。海に映る月の光が美しい。それにしても、上半身をそらせた遊女の姿は、日本人離れして、西洋の女性のように見えないだろうか。

 上記の銅版画はいずれも小ぶりな作品だ(文庫本を横にしたくらいだ)。一方、大型のものもある。それらはさすがに見応えがある。「西洋公園図」(29.5㎝×56.0㎝)や「イスパニア女帝コロンブス引見図」(45.3㎝×45.3㎝)などだ。それらの作品が外国に行ったこともなければ外国人を見たこともない(と思われる)江戸時代の日本人の手によって制作されたことは、なんだか想像を絶する。
(2023.1.14.千葉市美術館)
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