ブログのコメントで教えていただいた「蘇える鬼平犯科帖・池波正太郎と七人の作家」を買って来ました。
売り切れていたらどうしようかと心配しながらでしたが、良かった、ちゃんとありました。
秋の終わりというか冬の始まる頃になると、読みたくなるのです。
他にも剣客商売や藤枝梅安シリーズも、寒くなると読み返したくなるのです。
小説の中に登場する料理が、またいいんだな。
登場する料理ばかりを編集した本も出ているほど、美味しそうな献立が目白押しなのです。
池波正太郎さんは作品の中で季節を表現するために献立を考えて書かれたそうですが、四季折々の旬の素材を生かした料理が殺しや仇討ちの筋書きに対して緊張と緩和の如く、どちらも際立つ結果となっています。
そんな食べることを愛した池波正太郎さんも、お亡くなりになる前のエッセイには、食べたいものが思い浮かばないと書かれており何度読んでも切なくなってしまいます。
ものを食べないで生きている人はいません。
ものを食べる場面や献立を描写するこということは、難しいけれど大切なキーワードにもなり得るし、季節や人間関係や、食べ方によってその人の心情も表現することができる。
映画の手法にもよく使われていますが、男女の心の機微や時代や登場する土地の表現にもなります。
たまに食べることに無関心な人に会ったりすると驚いてしまうほど、作るのも食べるのも好きな私でありますが、日々食べたいものがある幸せ、そして食べることができる幸せを感じます。
栄養さえ摂取できれば良いとばかりにサプリメントや栄養補助食品などばかり摂り、食事なんて面倒だという人もいますが、余計なお世話と思いつつ勿体ないなぁと思ってしまいます。
食べることを書きながら、描写力がまだまだじゃのうと思うことが多々あります。
精進の道は果てしなく続くのでありました。
中一弥さんの表紙絵がまた良いのであります。
売り切れていたらどうしようかと心配しながらでしたが、良かった、ちゃんとありました。
秋の終わりというか冬の始まる頃になると、読みたくなるのです。
他にも剣客商売や藤枝梅安シリーズも、寒くなると読み返したくなるのです。
小説の中に登場する料理が、またいいんだな。
登場する料理ばかりを編集した本も出ているほど、美味しそうな献立が目白押しなのです。
池波正太郎さんは作品の中で季節を表現するために献立を考えて書かれたそうですが、四季折々の旬の素材を生かした料理が殺しや仇討ちの筋書きに対して緊張と緩和の如く、どちらも際立つ結果となっています。
そんな食べることを愛した池波正太郎さんも、お亡くなりになる前のエッセイには、食べたいものが思い浮かばないと書かれており何度読んでも切なくなってしまいます。
ものを食べないで生きている人はいません。
ものを食べる場面や献立を描写するこということは、難しいけれど大切なキーワードにもなり得るし、季節や人間関係や、食べ方によってその人の心情も表現することができる。
映画の手法にもよく使われていますが、男女の心の機微や時代や登場する土地の表現にもなります。
たまに食べることに無関心な人に会ったりすると驚いてしまうほど、作るのも食べるのも好きな私でありますが、日々食べたいものがある幸せ、そして食べることができる幸せを感じます。
栄養さえ摂取できれば良いとばかりにサプリメントや栄養補助食品などばかり摂り、食事なんて面倒だという人もいますが、余計なお世話と思いつつ勿体ないなぁと思ってしまいます。
食べることを書きながら、描写力がまだまだじゃのうと思うことが多々あります。
精進の道は果てしなく続くのでありました。
中一弥さんの表紙絵がまた良いのであります。