子供の頃遊んだ「用水路」の由来、こんな歴史があったのだ!!<神話の里・高千穂はどうできた?>
NHKの23年1月21日(PM7:30)放送のプラタモリを見ていただきましたでしょうか。観光地の九州の高千穂(宮崎県)が取り上げられていました。観光として訪れた人にとっては、なんであんな風景が広がっているのかという不思議を説き明かしてくれることになりましたでしょうし、私のように高千穂出身の者にとっては、今の高千穂を科学的に説明されことにより、巣立った高千穂のよき姿を改めて、見直す機会になりました。
プラタモリは、私の場合は、散歩の時間でいつもは見ていないわけですが、縁あっての頃良い「連絡」もあり、VTRにて見ました。そこでは、タモリさんの絶妙な語り口と地質学や地元の歴史家たちの解説を加えて、「高千穂」がいかに作られたかを説明してくれました。高千穂峡の観光地のあの渓谷のすばしさを見せながら、そびえ立つ巨大な柱状節理(柱状の岩の割れ方)のでき方や、なぜ神話に出てくる「眞名井の滝」があそこにあるのか、地質学(阿蘇山の溶岩流が流れた経緯)の解説を加えています。
そして、その観光地・高千穂峡を見たとき、水が豊富にあると思いきや、昔は、生活用水にも困り「水神様」を地区のいたるところに祭り、貴重な「水」に祈りをささげていたという事実。天保の大飢饉を境に村をあげて一大事業として山の上の水源を基に用水路を張り巡らし、今の有名な「棚田」の風景が出来たということ。高千穂峡の絶景から、棚田の風景のすばらしさを結び付け、そしてそれには高千穂の人々が生活の困窮さから(特に「水」に焦点をあてる。)脱するためどうしたかを、科学的に説明してくれたのだ。私、高千穂出身の者にとっては、神話の世界は、いくぶん語り継がれたものもあって知っているところもあるが、地質学的に、また歴史的に、こういった「科学的な」高千穂の説明は聞いたことがなかった。「プラタモリ」の番組に感謝したい。
実は、高千穂を紹介されるたびに思っていたのは、民俗(学)的な視点から、古来から受け継がれている風習を取りあげ、それだけならいいのだが、今では存在しないようなものまで現在も残っているような取り上げ方で、「面はゆい」思いをしたものだった。現在の捉え方をきっちりするならば、民俗学的な視点はもちろん否定するものではなく、必要なものであろう。プラタモリでは、そういった視点ではなく、現代と地質学的な時代を結んだ、すなわち「う~万年」前の阿蘇山の大噴火にその根源を発し、それらを科学的に結び付け、現在の高千穂の風景を説明してくれた。見事である。
今も流れている(と思われる)山間を流れる「(用)水路」。田んぼに供給される水であることは知っていたが、こんな歴史があったとは驚きである。よく夏の暑いときには、子供の頃その水で遊んだものである。そして、誰かがそこでおぼれたためか、何時ごろからか学校ではそこでの遊びが禁止された記憶があるが・・・。その用水路にそんな歴史があったとは。
見逃した方は、特に高千穂に由来を持つ方、プラタモリ(高千穂)を「NHKぷらす」(登録すれば簡単に見れる)では、まだ1週間見れますので(‘23 1月28日同放映時間終了まで)、是非ご覧ください。