元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

認められたい自分⇒生まれたのは自分が認められたからでこれ以上必要ない!!

2022-08-27 14:48:23 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 会社・人生の中で「認められたい」のに思うようにならない現実の中で!!

  会社の中で認められたい自分がいる。人生の中でだれかに認められたい自分がいる。また、誤解されたとき自分はあのときこういう意味で言ったのだとか、こういうことがしたかったのだがうまくいかなかったとか。思うように認められない現実。

 そんなとき、「光」があなたにささやいたのです。

 「認められなくてもいいではないか。私がお前を認めているのだから。だからこそ、お前は生まれてきたのだから。
 私に認められているという喜び、生まれてくることができたという誇りがあれば十分ではないか。
 お前は、なぜその上に、さらに他人に認められてもらおうとしているのか。」


 この言葉の意味するところは、人間生まれ変わり、あの世で、勉強し直し「愛」について学んで、そして、機が熟したころに、「愛」を実際に実践するために、この世に再度生まれ出てくるということを信じるかなのです。

 機が熟した頃というのは、十分愛の「知識」を得たころだと自分で悟り、あなたの指導役である「光」も十分学んだと認めた頃に、この世の「人間関係」という「愛」の実践のため、「人生」という学校に入学(=生まれて)くるようです。

 そこで「光」という指導役に見守られて生きていれば、それ以上の「認められたい」と考えることは必要ないようです。
 それだからこそ、生まれ出た以上、最後まで「生き切る」というのも重要なテーマ(途中で人生を諦めない)のようです。

  
 (参考) 完全版「生きがいの創造」 飯田史彦
      変な人が書いた世の中の仕組み他 斎藤一人
コメント
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