元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

ドラマ「マイ・セカンド・アオハル」のドラマ設定<人生を変えたい>「過去の記憶をプラスに変換(斉藤一人)=心理学の潜在意識から有効」

2023-11-02 06:39:47 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 ユング心理学のトリックスター・シャドー・コンプレックスの概念は!!

このドラマの設定がふるっているのだ、だれでも一度は考えたことはないだろうか?                      

<主人公白玉佐弥子の語り>                                            〇 人生を変えたい                                                      〇 そんなことを思ったことが誰しも一度はあるのではないだろうか                             〇 少なくとも私はある                                                 〇 自分は何者にもなれると信じて疑わなかった10代                                  〇 自分は何者にもなれないことを思い知らされた20代                                  〇 そして自分の人生があらかた見渡せるようになった30代                               〇 だから私はヨシッ、17歳の私へ、あんた30歳過ぎて大学受験するんやで

<非正規社員の白玉佐弥子は労働契約の解除を申し渡され、仲のいい正規社員の根村眞子のおごりで酒を飲む>

〇私の人生こんなはずではなかったはずでは・・・(白玉佐弥子)                              ◎多かれ少なかれ 皆んなそんなふうに 思いながら生きているんだって (根村眞子)                         ◎いろんな「こんなはずじゃなかった」に折り合いをつけていくのが年をとるってことだからさ (根村眞子)

〇むかつくからホントのこと言うの やめてもらっていいですか。(白玉佐弥子)

  人生において、ほとんどの人が、あの時こうだったらと思う場面があると思う。このドラマの主人公白玉は、みそじになって大学進学を決意したのだ。まだまだ若い時期であれば、確かにその場面まで戻って再度やり直すことは出来る。

    しかし、我々高齢世代になると人生をやり直すとなると、老い先短い年齢から考えて、「ちょっと難しいわ」となる。ではどうするか。斎藤一人氏は、「自分さがしの旅」(著書)の中で、自分の過去を振り返って、その記憶の中にとどめてきたことを、ひとつ一つと「いいことに」変えてくことを提案している。一人氏は、中学卒業して社会人になった。彼曰く、中学出は、早く社会に出たので、高校出よりは早く社会を経験しており、その点で逆に優位だという。実際彼は「納税日本一」で有名になったし、著書の中で斎藤流の人生観を語り、多くの人に支持されるようになっている。一般的に常識的に「高校は卒業しなければ」とか「大学に行っていなければ」とかいうのは、それもあるだろうけど、彼に言わせれば、そういった考えは覆せるものだという。

 「すごい」と皆に言われたかったら、こういった「自分探しの旅」をしてきて、マイナスの記憶をプラスの記憶に引っくり返すことだというのだ。そう意味で、過去は変えられるのだ。高校中退した人は、高校中退の良さを自分なりに考える。高校の勉強は役に立たないと思ったからとか、中学卒業の一人さんよりは、高校の経験があるから得したとか、自分なりに納得することだというのだ。一人さんがよく言っている「方程式が出来ないと・・・」とか先生がいったとかいうが、それが必要な人を除いて、少なくとも一人さん自身は使ったことがないという。そんなものを持って自信を失っては、だめだというのだ。

 「記憶の中で黒を白にひっくり返さなければならない」=その理由は、心理学的に、正確に言えばユング心理学で説明できます。トリックスターということばがあります。人生や仕事が順風満帆な時に、突然、失敗するような、見えざる何物かの存在です。その見えざるトリックスターは、その人の無意識の中に潜んでいると考えられるのです。この失敗は、失敗というよりも無意識のうちに自分で呼び込んでいるのです。「こういった良いことは、ずーっと続くはずはない」と潜在意識の中で、考えていることがその原因で失敗してしまうと言います。

 また、ユングは、シャドー(影)という概念を持ち出します。シャドーとは、あなたも知らない「もう一人のあなた」のことです。子供のときからおとなしく育った人は、暴力的なことを「悪いこと」として、意識的に抑圧して、意識の底に沈めます。こうして、潜在意識の中に閉じ込められた、抑圧された部分がその人の「シャドー」となるのです。同僚のごますりが見過ごせないという人がいます。彼は子供のころから曲がったことが嫌いで、正直・誠実を基本として生きてきましたので、相手に媚びるようなことは無意識化に押し込められていたのです。これが「シャドー」の概念です。

 さらに、コンプレックスの概念もあります。鼻が低いとか足が短いという口に出して言えるものではなく、もっと自分の意識の中で弱点とは認めがたいがために、無意識の中に抑圧している複雑な感情のことのです。そのために、表向きには何ら影響がないようでも、こころの奥底では、それに囚われて何らかの現実の事象に影響を与える場合があるのです。このようにユング心理学では、意識の下にある潜在意識が根底にあって、それが頭をもたげて、意識はしてないんだけども顕在化して、現実の事実関係に影響を及ぼすというのが主たる主張です。

 だから、一人さんがいうように、過去の記憶をたどって、悪い記憶があれば、それを良い記憶に変えていくというのは、一理あるのです。

 最後に私の例で恐縮です。高校の頃、大学に進学の際に理科系の大学か、文科系なのか悩んだ時期がありました。今から考えると、ちょっとしたつまらない理由で文科系を選んだのです。当時、自分はどちらかというと理工系の人間です、今でも思っています。・・・が、理科系・文科系どちらかに片寄った人でもなかったようです。理工系の人間であると認識していた自分、ノーベル賞級の頭は持っていなかったのですが、それを選んだとしたら、それなりの見識をもって人生を歩んでいたように思います。そんなこんなで、今でも、なぜ理工系を選ばなかったのか、心に引っ掛かりがあったのです。

 文系の大学(経済学)を卒業したので、地方自治体の行政職に就職が可能となり、また第2の人生としては短い間でしたけど社労士活動を経験させていただきました。今になって思えば、こういった人生経験ができたのも、経済学を専攻したおかげだと思っています。やっと、この年になって初めて、あの高校の頃、文科系の大学を選んでたのも、正解だったのかと思う次第です。今になって、やっとその選択に自信が持てたようです。当時の頃では、思いついても、なかなか記憶をひっくりかえすのは難しかったと感じています。高齢化した今になって、やっと「良い記憶」として残るようになりました。

 よく考えれば、私の魂的には、前世において既に理系を選んでおり、この世においては文系を学ぶことを考えて、この世に生まれてきたのかもしれないということもあり得るのではと考えるようになったのです。

参考 ユング心理学入門 山根はるみ著 ごま書房

   自分さがしの旅 斎藤一人著 KKロングセラーズ

 

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朝ドラらんまん「総括」・登場人物=ソウルメイトとは

2023-10-11 17:03:11 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 東大植物学教室へ万太郎を迎入れた田辺教授の思惑は何=地位・名誉欲?

    NHK朝ドラ「らんまん」には、槙野万太郎の人生に影響を与えた多くの人々が登場する。まずは、これは人物ではないのだが、彼は大きな酒造りの商家「峰屋」の当主として、生まれたことが大きい。母も彼が幼い時に亡くしてしまったが、特に高価な本も取り寄せられるほど何不自由なく育ててくれたのは、祖母のタキ(タキから万太郎の目付け役を命じられた竹雄も加えられるが・・・)である。そして草花が好きであった万太郎に植物にはそれぞれ名前があるのを教え、植物に関する本を紹介してくれた名教館の池田蘭光学頭、小学校も出ていない万太郎に東京大学植物学教室への出入りを許した田邊教授、万太郎の才能をねたんでか出入りを差し止めた田邊教授であったが、それを東大植物学教室の助手として迎い入れた田邊教授の後任の徳永教授。

 そして、東大学生で万太郎と共に学び後に農業大学の教授までになった波多野。最初は拒んだ万太郎であったが、植物学に貢献した万太郎が「理学博士」を受けなければ、日本の植物学の研究は世界から笑われるからとまで言い切り、徳永教授と「理学博士への推薦」を行ったのが、この波多野であった。また、金銭に余裕のない万太郎に植物標本を買い取り版元を買って出た永守家の当主の永守徹。最後になったが、特に財政面で家計を支え万太郎の研究を誰よりも理解してくれた妻の寿恵子である。これらの人々は、万太郎が植物学を日本の土に根ずかせ植物図鑑としての完成に、それぞれの形で導いてくれたといえるのだ。

 人は死んでからも、何度でも生まれ変わり、また新しい使命をもって生まれてくるというが、その中でも、同じグループで生まれ変わりを繰り返し、特に強い結びつきである意識体同士を「ソウルメイト」という。前世の記憶を呼び覚ます「退行催眠」という方法で「精神医学の治療法」を行っているワイス博士は、「ソウルメイト」について次のように要約し語っている。「ソウルメイトたちとともに、切磋琢磨してお互いに成長しながら、私たちは、生まれ変わりの階段を、ひとつずつ昇っていくのです。昔からの悪い癖を克服し、愛と喜びを十分に味わい、怒りや恐怖を消し去っていくのです。今回の人生と同じ関係、同じ状況ではないかもしれませんが、例えば父と娘、友人、兄弟、おじいさんと孫といった関係として、これからも、何回も何回も出会いを続けていくのです。」(完全版「生きがいの創造」P398~399、飯田史彦著、PHP文庫)

 今回の万太郎の人生においては、彼が最終的に植物図鑑を完成をするように、このソウルメイトたちが導いてくれました。時には、田邊教授のようにイヤーな役を演じていても、とにもかくも植物「学」の門を開いてくれた人物のように、良い役ばかりではなく「悪役」として登場することもあるのです。これらに人々に対しては、来世において、今度は万太郎がある意味でこのソウルメイトのために、何かの「恩返し」をするようになっているのかもしれません。このように、ソウルメイト同士はお互い切磋琢磨しながら、共に助け助けられながら、それぞれ各人の魂のレベルが上がっていくようになっているというのです。

 このドラマの実在のモデルとなった牧野富太郎博士についても、はぼほぼ同じような実在の人物がいたようだが、これらの人々は、ほとんどこのソウルメイトであると思われるのだ。中には、一回限りのこの世の出会いというのがあるとしても・・・。ただ、坂本竜馬やジョン万次郎は、ドラマでは主人公に崇高な志を教える登場人物となっており、確かに同時代に生きた人物であるが、このドラマの脚色である可能性が高いと思われる。

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秀吉にみる人心掌握術の極意・情と知で「人を動かす」=コミュニケ力・動機づけ・目標管理・企画力・競争

2023-09-18 14:50:42 | 職場・組織等

 社員教育の能力開発に対する「題材」=逸材の人物が秀吉!!<管理監督者研修>

 本棚を整理していたら社員研修時代の講師として、 自分が書いた文章がでてきました。現在放映されている「どうする家康」では、「欲望のかたまり」的な怪演、「秀吉」を俳優のムロツヨシさんが演じています。なぜ秀吉は天下を取り得たのか。この文では、脚色じみていて単純化していますが、彼がコミュニケーション力、動機づけ、目標管理・企画力の「人を動かす天才」であり、「情と知の管理」に優れていた点で、社員の能力開発の題材として、彼の話は良いネタになったのです。これは、今も変わらないと思われます。

1 秀吉は「人を動かす」天才                                              NHKの大河ドラマは97年は毛利元就です。96年は秀吉でした。※これらから97年の記述である事が分かる。

 実は、その前に、緒形拳さんが同じNHKの大河ドラマで、太閤記の主人公、秀吉をやっていらしゃいます。20年以上(記述当時の97年から起算しての話)の前の話です。※亡・緒形拳のはまり役だったのはご存じのとおり

 これほどまでに、秀吉がなぜ放送されるのか。農民から天下を取った天下取り、出世物語だけではない、一般には、現代にも通じる生き方をそこに見ることができるからではないかと思われます。

 としては、秀吉からは「人の管理、人を動かす天才」であったことから、人心掌握術「人を動かすノウハウ」をそこから学ぶことが出来るからではないかと思われます。

〇 を動かす天才であったことを示すこんな例があります。手柄をたてて、はじめて城持ち大名となった、すなわち信長の命を受け長浜城の城主になったときのこと。今まで木下藤吉郎と名乗っていましたが、信長が「せっかく城主になったのだから、もっと良い名前がいい。何がいい」といいました。先輩の大名に羽柴長秀と柴田勝家という方がいました。その先輩のいる前で、『尊敬する先輩方、羽柴様の「羽」と柴田様の「柴」を取って、「羽柴秀吉」と改めたいと思います。』とやったのだ。今まで、下っ端と思っていた秀吉が、自分と同じ城持ち大名になる、彼らにとって、これほど複雑な気持ちはありません。しかし、そういった複雑な気分のところで、ハッキリ言って面白くないーそこへ尊敬する先輩から名前をもらってと言われるとまんざら悪い気もしない。柴田さんとは最後まで対立してしまうのです(信長亡き後の後継者争い~賤ケ岳の戦い)が、その時、柴田さんは「同僚としてがんばろうや」と肩をたたいたといわれています。こんな人とのつながりをうまく、心の変化を敏感に感じ、気配りの勧めをやったのが秀吉さんです。

2 秀吉の「人を動かす」才能                                          〇 さて、秀吉の人を動かすポイントは、3つあります。                                〇 一つは、人間関係、コミュニケーションの天才であったことが挙げられます。秀吉がよくやったのが「ニコポン」です。ニコッと笑ってポンと肩をたたく。これは、人間関係をうまく保つことに役立つ、人間関係の潤滑油となる。とにかく、このニコポンに代表するように、人間関係、コミュニケに気を配ったというのが一点。

 2番目に、動機づけがうまかった。人を動かすためには、人をその気にさせなきゃ人は動きません。信長の指示したことを部下に伝えるとき、自分の言葉で伝えた。咀嚼して自分の言葉で伝えた。そしてなるほどと思わせ、その気にさせた。他の武将たちは信長は結論だけしか言わないので、その真意が分からずなかなか説明することができないが、秀吉は、信長の真意を理解し嚙み砕いてうまく説明・納得させ協力させた。(この例は、後で項を改めて「3」で説明)

〇 3番目に、秀吉は企画の天才であった。これは、人の掌握術からは若干外れるとは思いますが、なんで人をうまく動かしたかと聞かれるとこれをあげざるを得ません。人を動かすためには、そのやってもらう企画そのものが、人が納得できるものでないと、ひきつけるものがないと人は動きません。この点において、秀吉は天才的な企画の持ち主であった。                                                  

〇 ご存じだと思いますが、墨俣(すのまた)の一夜城の話、敵地に一夜のうちに城を建てたという話はご存じだと思います。まむしの斎藤道三の孫の龍興の時代 斎藤さんの土地に攻め入る、その足掛かりとして敵地に、川があってここまでは織田の領地、川の向こうが斎藤さんの領地、この斎藤さんの領地に一夜のうちに城を作ってしまった。これは、川の上流であらかじめ必要な形で木を切っておいて、今でいうプレハブ住宅の「ユニット」にして、組み立てがでるように木に組み込みをいれて、立てる直前までにしてから、それを筏にして上流から流す。川下の墨俣で取り上げて組み立て、一夜のうちに城を出現させた。城というよりは砦のようなものと思われるのだが・・・。プレハブの発想がなかった時代に、この想像力、企画力のすばらしさは天才です。この企画力があったからこそ、皆が力を合わせた、納得できるものがあって、成功に導いたといえるのではないでしょうか。

3 清州城の城普請                                                〇 そこで、秀吉の人を動かすのがうまかったという代表的な例として、清州城の城普請の例を挙げてみます。これも有名な話ですので、ご存じの方もいると思います。あるとき、台風で城の堀が壊れた。20日たっても堀の修理はできません。信長は気が短いのでなんでできないのかと普請奉行をしかりつける。それを聞いていた秀吉は、私なら3日で修理しましょうという。                                              

 これには、前準備がいった、自分で石を積んでみた。それでもって全体にかかる日数を計算してみた。3日で出来るという確信をもった。できない原因は、漫然と仕事をやっているからだと思った。10チームに班を編成して、10か所に作業を分割してそれぞれに責任を持たせて行わせた。分かり安く言えば、例えば、100メートルに亘って崩れているとすれば、そこに100人の作業員を投入するば・・・漫然と行っている限り、先が見えない、やった仕事の量が分からないとなる。しかし、これを10チーム(1チームは10人)に分けると、1チームの仕事量は、10メートルである。ここからそこまでと分かるのだ。目に見える仕事になるのだ。今でいう目標管理です、3日でやり終えるためには、一日の仕事はここまで終えなければならない。一日の目標が見えてきます。それによって、3日で完成させてしまった。これをみて、松下幸之助は事業部制の発祥であると言わしめている。チームを分割して目標管理をやる、事業部ごとに独立して目標管理をしていくという、事業部制の発生・由来をそこに見ていらっしゃいます。

 それともう一点は、みんなのためであるという動機付けをしている点です。解任された前の普請奉行が来て、「お前たちは、一生懸命やっているけれども、結局は秀吉の手柄になるだけだよ」と言います。これに対して秀吉は何と言ったか。秀吉はこう言います。「敵がいつ攻めてくるかも分からないのだ。このままでは、いっぺんにやられてしまう。負ければ影響は俺たちばかりではない。俺たち侍が負ければ、あんたたちの女房、子供もどんな目に遭うか分からない。結局はみんなのためなんだ。」と説明したのだ。これが動機付けけとなる。他人事と思っていたのが、自分たちのためだということになれば、がぜん人は動き出す。このように秀吉は、動機づけの天才であったのです。

 さらに加えて、秀吉は信長に約束を取り付けた上で、一番で目標を達成したチームには、褒美を取らせるようにしたのです。これは、競争技術の導入です。国鉄からJRにしたときには、地方ごとに企業を分割しました。同様に、秀吉は、10組のチームの親方を呼び集めて、その旨伝えたのです。そこで、各親方は一番を目指して競い合ったのです。これによって、仕事の漫然化を解消することが可能となったのです。

4、情の管理・知の管理                                                さて、作家の童門冬二さんが「情の管理・知の管理」の本の中で、夏目漱石の草枕の冒頭を引用して説明を加えていらっしゃいます。

 山道を登りながら考えた。・・知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。・・・・

 つまり、「情と知の管理」をうまく運用というか、使っていかないと人の世を生きていくのは難しいと言っています。この清州城の城普請の例は「知による管理」です。目標管理、納得できる説明など、これは知による管理です。しかし、それだけではありません。どの秀吉の例を取りましても、コミュニケーションの取り方が非常にうまかった。清州城普請においても、自分の家に作業員を招待し飲まして食わせたのです。それによって、コミュニケーションを図った。この人ならという気にさせたのです。人は知=理屈だけでは動きません。この人ならという、信頼感、一体感があって初めて人は動くのです。                                             

 この点で、秀吉は、情・智をうまくミックスさせて、人を動かしていった。童門冬二さんがいう情・知の管理をバランスよくミックスさせて、人を動かしていったのです。※                               

 皆様も、この秀吉の例から、人心掌握術を読み取り、活力ある職場、また明るい家庭に、よりよい人間関係を築いていただければありがたい。

〇 ご清聴ありがとうございます。

※ 企画・想像力もこの点で最も必要な能力であるが、これも突き詰めれば「知による管理」ではないか。

◎ この「秀吉」の記述は、97年当時のものです。多分、童門冬二氏の「情の管理・知の管理」からや他の同様の本からの引用等が多いものと考えられます。実は、その題材等は、自分でも今ではどこから持ってきたのか不明の部分が多く、ひとつ一つを検証することが不可能です。検証の上、ちゃんと載せなければならないところですが、それより、今の時代にも、これを出すことの意義があると考えました。童門冬二氏には、この点、お断りいたしておきます。改めてすみません。(他の作家さんのも一部はあるかもしれません。)               

                        

 

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朝ドラ・ らんまん「キレンゲショウマ」98回=<人種差別と牧野博士の平等概念>人は神に似せて作られた意味!

2023-08-24 17:23:31 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 アインシュタイン・モーツアルト&牧野富太郎のこの世でのミッションについて

 万太郎のいる長屋へ「寺子屋の親友」である広瀬雄一郎が訪ねてくる。訪米していた彼は、札幌農学校の教授に迎えられことになっていたが、その途中で東京の万太郎の所へ立ち寄ったものである。

 (雄一郎の話) アメリカは、何もかもが雄大だった。ミシシッピ川の治水工事にかかわり、中でも忘れられんのは、そこに架かる巨大な橋を見たこと、緻密で幾何学模様は美しいと同時に強い。オレが学ぶ土木工学が何なのかが分かった。人間が建てる建造物で、巨大な自然の力と人の暮らしを調和させることが出来るがじゃあ。

 その人間の素晴らしさと同時に、アメリカ南部を訪れた際、南北戦争のあとが残っていたが、それが彼にとっては衝撃的(恐ろしいとの表現)だったという。

 (雄一郎の話の続き) 例えば、差別。南北戦争によって奴隷制度はなくなったが、一層差別がひどくなっている。黒人、我々アジア人、アイルランドから移った人々。自分は英語ができ、仕事が始まったら技師の能力で判断してもらえるが・・・。

 (そばを食べながらの雄一郎の話) 万太郎は、昔から、いっぺん(いちずなさま)じゃき。草花に優劣をつけることはなかった。生まれた国、人種、どこでどう生きるか、それぞれにおもしろうて優劣もない。万太郎、この先もずっと変わりなよ。

 モデルとなった牧野博士は、この時代珍しく誰彼に優劣をつけることなく、人を実に平等に扱ったという。ついこの前まで、やれ武士だの、やれ町民だのといっていた時代から、明治になってすぐに人は平等だと言っても、人の心はすぐには変わるものではない。その中で、彼に接した誰もが彼の特徴的な言動として言うのは、彼には「平等」に扱ってもらったというので、本当にそうだったのだろう。

 有名なアインシュタインやモーツアルトは、この世に生まれるときにこの世の技術や文化の振興に寄与する者として、一定の使命を帯びてくるものがあるというが、牧野博士も、日本における遅れていた植物学の発展のため、ミッションを果たすべく生まれてきたのだ。彼の場合は、そのミッションは植物学の振興ということだけと思っていたが、こういったドラマを改めて見て、さらに、彼は、日本人の心の中にこういった「平等」の概念を植え付けることも、彼の使命であったのではないかと思うのである。彼の平等概念は、おぼっちゃま気質から来たものと思っていたが、学問の世界において小学校も出ていない彼が差別されるのは想像に難くないところ、それをも跳ね返す力を有していたのは、彼自身の本質的な平等概念から来たものであろう。

 人は神に似せて作られたという。神は全知全能にして、しかも「善」である(※注※)。それゆえに人間は、本来は、人種、民族、性別、宗教、社会階級などの違いに関係なく、平等であるのが本来の姿なのである。この世に生まれたときに、その本来の姿を忘れて、この世の「文化」に染まる中で「平等」の概念を忘れてしまっている。しかし、人は、忘れてしまっているとはいえ、この世に何回も何回も生まれて、その本来の姿「平等」に近づいていくのだろうと思う。すぐに近づけないのは、基本的には神自身は「人の人生」を罰することはしないからだという。人自身が気が付かない限り、すぐには、この世は変化しないのだ。それゆえ、それでも、少しづつ、いい方向に進んでいることを期待しなければならないのだ。

 本質的に考えたいのは、肌の色に重きをおく「人種」というのは、肉体の違いであって、人の誕生は、その肉体の中に魂が入ってくることによる。あの世では魂そのものであり、肉体そのものは脱ぎ捨てなくてはならず、肌の色うんぬんというのは、この世の考え方であることが分かるのである。

(※注※)「神との対話」ではなかなかその解釈が難しいが、神そのものも「悪」をも含んでいるものだいうような矛盾した表現になっているところ、それを含めて最終的には「善」ということなのだと思う。

  

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朝ドラ・ らんまん「ムジナモ事件・東大教室の出入禁止」=<あの世で作成した問題集を解く者と神の使命の天才的才能を持つ者>問題集を投げ出さないように!!

2023-08-09 14:28:03 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

  この世の問題集は必ず解けるようになっている!!

◎ ムジナモを見た田辺教授(要潤)は、珍しい食中植物であるのを言い当て、この植物が日本にあり、その生態を論文として書くように勧めた。その後、このムジナモがめったに咲かないが開花することも分かった。このムジナモの研究に没頭した万太郎が、取り急ぎ植物画と論文を完成させたのは、ムジナモ開花後4か月後であった。

 その論文を見た田辺は「君は、自分の手柄だけを誇っているんだな」とおだやかだが何か言いたげ。論文を再確認した大窪助教授(今野浩喜)は、教授の田辺が著者として記載されていないことを指摘し、「お前が見つけたムジナモがアルドロヴァンダ・ヴェシクローサであると突き止めたのは教授だ! だがお前は、自分が見つけたという報告しか書いていない! いかに貴重なものを見つけても何であるか分からなければ、論文は書けなかったはずだ。当然、教授と共著の形にしなければならなかった。」と叱った。大窪助教授は、続けて「教授。申し訳ありません。事務局長としての私の落ち度です。全て破棄し、新たに刷り直します」と伝える。                     

◎ しかし、田辺教授は「何を期待していたんだか……。もういい! ミスターマキノ。今後、我が東京大学植物学教室への出入りを禁ずる」と万太郎に告げた。

 有名なムジナモ事件=植物学教室への出入り禁止事件である。田辺教授は、万太郎の植物学教室への出入りを認めたののであるが、この事件をきっかけとして、彼によって、万太郎の植物学教室への出入りが禁止されたのである。田辺教授は、万太郎の出入りにより植物学教室への活性化が認められると感じてはいたが、よくいわれる万太郎の才能に対して嫉妬したのも事実であろうし、物語にあるように、帝国大学という国立大学になった点などから、大学の出身者でない彼を排除しようとしたのもあろうと思う。

 あの世でこの世での課題を集めた問題集を自ら作成し、この世に生まれる際にそのこと自体を全く忘れるようになっており、その上で、この世でその問題集を解いていく仕組みになっているといわれます。学問を追及する植物学教室においては、一般的には東京大学の学生から植物学教室に専任し、・・・助手、講師、助教授、教授になっていくというシステムがあり、そこに勤務する人々も、その中でのルールに基づき、頑張っていくことになる。その人たちは、先ほどのこの世での問題集を解きながら、この植物学教室で生きていたのであろう。田辺教授も、留学した上で、このルールに基づき、この教室で生きてきた人物である。

 ところが、世の中には、この問題集を携えてくるのに加え、アインシュタインやモーツアルトのように、この世の文化・芸術・技術等の振興のため、天才的な才能を持って生まれてくる者もいる。遅れていた日本の植物学の振興のために、万太郎もこういった神からの使命をもって生まれてきた人であろう。こういった人々は、よく世間の常識からいって違った行動を取りやすい。というよりも、論文の共著で書くという植物学教室の教えは、学生から入って来た者ではない万太郎にとって、知らなかったのも無理はないのであるが・・・。いずれにしても、万太郎は、この植物学教室のルールを無視した行動(論文の共著)を取ってしまったのである。田辺教授が怒るのも無理はない。

 いうならば、植物学教室の中で問題集を解いていく者たちと神からの使命を持って天才的な才能を持って生まれた万太郎との「生き方のギャップ」によるトラブルであろう。

 さて、こういった人々に比べ、日々の生活を送ることだけに一生懸命の者もいる。生きていくだけでも精いっぱいの者もいる。その中には、生きるのに疲れてしまう人もいるのも事実。この世の問題集を解いていく過程で、その切り開いていく気力をなくしてしまう者もいるのだ。しかし、この世のその問題集は、その人に応じた問題集であるのであり、必ず乗り切れるものであるというのだ。今では、相談窓口がいろいろ設けられているし、隣の誰かに相談して乗り切るのもいい。※補足論点1・2

 途中で問題集を投げ出しても、あの世に行ったら、この世の途中で問題を投げ出したことを大いに反省し、同じような課題の問題集を行うことを、自ら進んで再度行うことになるというのだ。 

 ※補足論点1 まず、生きていることが理屈抜きに大事。いかに生きるか、どう生きるかも、もちろん重要だと思います。・・(しかし)・・・残りの9割ぐらいは生きることそのものだと言ってもいいのではないでしょうか。何があっても生きていれば、人生というテストに80点から90点は取れたようなものじゃないかと思います。(東大教授バリアーフリー研究者福島智=本人は3歳で右目失明・9歳で左目失明・18歳で失聴)<ことば巡礼 23年7月28日宮崎日日新聞 矢口誠著による>

 補足論点2 神は自ら「体」を持たないから、この世の体をもつヒトに対して「体験」させることにより、神も同時に「体験」したことになるという。生きることそのものがいかにつらいものであろうとも、神との一体化した体験であるということを考えれば、そのつらさが「やわらぐ」ことにはならないだろうか。

参考:完全版生きがいの創造 飯田史彦著 PHP文庫  

   神との対話

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