韓流はゾンビウエーブである。これは、数年前に韓国のシンポジウムで提唱された分析でした。要するに、アジア各国で当時売り出していたドラマなどが、本当にブームであったのではなく、放送する側に金銭的な恩恵のある売り込みに過ぎなかったのです。
このような反省があったからかは分かりませんが、韓国は韓流ババア相手の路線を見直し、若手グループユニットの売り込み攻勢をかけるようになりました。目の肥えた日本人の多くは、彼らが元の顔が分からないほど整形したのを見破り、一様に気持ち悪さを感じました。しかし、中には彼らに共感する本当?の貫流ファンもいるのです。キモーw
21日のフジテレビデモの直後、参加者をからかったり馬鹿にする言葉を発した関係者(制作会社勤務)が鬼女のターゲットになりました。井上という名前から、イノウェイというハンドル、果ては住んでいる建物や所有する車まで洗い出されました。ついでに奥さんと子供や、オークションでの不正出品まで曝される始末。
また、フィギュアスケートの制作に関係したフジテレビ社員(女アシスタントプロデューサー)も仲間として認定され、真央叩きや日本下げの戦犯として追求されています。そろそろ住んでいる家が絞られるかも。
日本スケート連盟もそうですが、日本を嫌いで韓国に肩入れする日本人が居ます。彼らは在日ではなくて日本人なのに、ひたすら日本人下げや韓国マンセーを続けます。今回のユニットによる韓流は、数少ないとはいえ、このような日本人に支持されているのは確かなのです。では、彼らの韓国マンセーの心理とは何か?
僕は、捏造韓流にデジャヴがあります。それは、芸大の時の仲間内での褒め合いです。僕から見て何が良いのかサッパリ分からない絵を、彼らはお互いに褒め合うのです。その気持ち悪さが韓流と同じなのです。
ここまで書けば分かると思いますが、芸大の褒め合う仲間というのは、真の実力がなくて二流から三流の資質しか無い学生です。僕のように先生が恐れたり、先生が特別視する才能のかけらもないようなダメ学生が褒め合うのです。芸大の絵画科というのは、このような才能のない連中が公募展に出品し、やがて互助会の出世頭として教授などとして戻ってくるのです。だから、このような教授が講評会で学生の絵を褒める時、口の悪い先輩は「褒め殺し」と皮肉っていました。褒めたのが将来に癌となるからです。
芸大の大半の学生と同じように、電通やフジテレビや制作会社の社員など、彼ら業界人の大半が何の才能もない人々です。彼らは、同じ日本人のタレント(才能)に対して、何らかのコンプレックスを抱いている出来損ないなのです。だから、日本人のタレントを貶(おとしめ)めるツールとして韓流が持て囃されるのです。
ダメな日本人でも、韓流に乗っかれば優れた才能を持つ日本人の上に立てる。その共通認識が仲間を増やし、また仲間から抜けることを許さない暗黙のルールとなるのです。このヤクザ世界と同じ暗黙のルールから外れようとすると、ヒステリックに全員で叩きます。韓流批判を叩くお笑いタレントやテレビに飼われているコメンテーターなど、一流になれない基本ダメ人間であることは共通です。彼らは心の奥底で、才能を与えなかった両親、そして父母の国である日本を憎んで叩いているのです。
フジテレビがダメになる中で残された『のだめカンタービレ』には、「音楽を尊敬して、それが自分に返ってくる」というシーンがあります。それは音楽だけでなく、絵画や工芸や建築でも同じであり、日本人はそのような物作りを心から尊敬してきたのです。良いものには金をかけるというのは、決して成金趣味ではなく、田舎の農家でも、あるいは漁村の一漁師にも浸透する、本当の意味での貴族趣味なのです。これが日本人の美意識なのです。
日本人は、大昔からそのような美意識を育み、また優れた作品に敬意を表し、村単位、あるいは町単位、あるいは国単位で遺してきたのです。これが日本人に脈々と受け継がれてきた伝統なのです。だからテレビ番組といえども、日本人の美意識から逸脱することは視聴者にとって許されないのです。
ひと月ほど前、TBSで金田一耕助の事件簿『悪霊島』の再放送がありました。見るとはなしに見ていたのですが、山本陽子さんの演技力に感心して最後まで見てしまいました。スクリーンのヒロインとして鍛え抜かれた本物の姿。ドラマのTBSが復活するとしたら、流行を追った安易な脚本頼りではなく、無名でも演技力のある俳優を配する真のドラマ作りに光があると思います。
エフライム工房 平御幸
このような反省があったからかは分かりませんが、韓国は韓流ババア相手の路線を見直し、若手グループユニットの売り込み攻勢をかけるようになりました。目の肥えた日本人の多くは、彼らが元の顔が分からないほど整形したのを見破り、一様に気持ち悪さを感じました。しかし、中には彼らに共感する本当?の貫流ファンもいるのです。キモーw
21日のフジテレビデモの直後、参加者をからかったり馬鹿にする言葉を発した関係者(制作会社勤務)が鬼女のターゲットになりました。井上という名前から、イノウェイというハンドル、果ては住んでいる建物や所有する車まで洗い出されました。ついでに奥さんと子供や、オークションでの不正出品まで曝される始末。
また、フィギュアスケートの制作に関係したフジテレビ社員(女アシスタントプロデューサー)も仲間として認定され、真央叩きや日本下げの戦犯として追求されています。そろそろ住んでいる家が絞られるかも。
日本スケート連盟もそうですが、日本を嫌いで韓国に肩入れする日本人が居ます。彼らは在日ではなくて日本人なのに、ひたすら日本人下げや韓国マンセーを続けます。今回のユニットによる韓流は、数少ないとはいえ、このような日本人に支持されているのは確かなのです。では、彼らの韓国マンセーの心理とは何か?
僕は、捏造韓流にデジャヴがあります。それは、芸大の時の仲間内での褒め合いです。僕から見て何が良いのかサッパリ分からない絵を、彼らはお互いに褒め合うのです。その気持ち悪さが韓流と同じなのです。
ここまで書けば分かると思いますが、芸大の褒め合う仲間というのは、真の実力がなくて二流から三流の資質しか無い学生です。僕のように先生が恐れたり、先生が特別視する才能のかけらもないようなダメ学生が褒め合うのです。芸大の絵画科というのは、このような才能のない連中が公募展に出品し、やがて互助会の出世頭として教授などとして戻ってくるのです。だから、このような教授が講評会で学生の絵を褒める時、口の悪い先輩は「褒め殺し」と皮肉っていました。褒めたのが将来に癌となるからです。
芸大の大半の学生と同じように、電通やフジテレビや制作会社の社員など、彼ら業界人の大半が何の才能もない人々です。彼らは、同じ日本人のタレント(才能)に対して、何らかのコンプレックスを抱いている出来損ないなのです。だから、日本人のタレントを貶(おとしめ)めるツールとして韓流が持て囃されるのです。
ダメな日本人でも、韓流に乗っかれば優れた才能を持つ日本人の上に立てる。その共通認識が仲間を増やし、また仲間から抜けることを許さない暗黙のルールとなるのです。このヤクザ世界と同じ暗黙のルールから外れようとすると、ヒステリックに全員で叩きます。韓流批判を叩くお笑いタレントやテレビに飼われているコメンテーターなど、一流になれない基本ダメ人間であることは共通です。彼らは心の奥底で、才能を与えなかった両親、そして父母の国である日本を憎んで叩いているのです。
フジテレビがダメになる中で残された『のだめカンタービレ』には、「音楽を尊敬して、それが自分に返ってくる」というシーンがあります。それは音楽だけでなく、絵画や工芸や建築でも同じであり、日本人はそのような物作りを心から尊敬してきたのです。良いものには金をかけるというのは、決して成金趣味ではなく、田舎の農家でも、あるいは漁村の一漁師にも浸透する、本当の意味での貴族趣味なのです。これが日本人の美意識なのです。
日本人は、大昔からそのような美意識を育み、また優れた作品に敬意を表し、村単位、あるいは町単位、あるいは国単位で遺してきたのです。これが日本人に脈々と受け継がれてきた伝統なのです。だからテレビ番組といえども、日本人の美意識から逸脱することは視聴者にとって許されないのです。
ひと月ほど前、TBSで金田一耕助の事件簿『悪霊島』の再放送がありました。見るとはなしに見ていたのですが、山本陽子さんの演技力に感心して最後まで見てしまいました。スクリーンのヒロインとして鍛え抜かれた本物の姿。ドラマのTBSが復活するとしたら、流行を追った安易な脚本頼りではなく、無名でも演技力のある俳優を配する真のドラマ作りに光があると思います。
エフライム工房 平御幸