次に向かったのは、「尖石縄文考古館」です。
長野県は縄文文化が繁栄したところで、多くの縄文時代の遺跡が存在しています。蓼科地域でも多くの遺跡があり、底で発掘された貴重な出土品を展示しているのが、この博物館になります。
何故長野に縄文遺跡が多いのか、というと、火山灰の蓄積した台地で湧き水が豊富だったこと、縄文時代は今よりも気温が高く食料が豊富で暮らしやすかった、等がありますが、なんといっても黒曜石の産地が近くにあったことです。
金属の道具を持たない縄文人にとって、黒曜石は食器、武器、狩りの道具、加工道具のすべての役割を担う魔法の石で、これが手に入るか否かが死活問題だったものと思われます。
この考古館には、蓼科地域の遺跡から出土した、国宝の土偶が二体展示されています。「縄文のビーナス」と「仮面の女神」と呼ばれる土偶で、両方ともレプリカではなく本物が展示されています。
ここでは特に撮影禁止と表示されていない限り、撮影も可能です。しかし、撮影した画像をここに掲載してよいのかわからないので、300円ガチャの画像を載せておきます。
中央左が仮面の女神、中央右が縄文のビーナスです。右端は翌日、道の駅で購入した黒曜石、左端は青森県八戸で出土した合唱土偶です。結構正確にできています。
他にも、初期はシンプルで、中期には装飾が施された大型のものになり、末期には再び小型化していくという縄文土器の歴史、加工された陰陽石等も展示されており、非常に面白い考古館でした。
末期に小型化したのは縄文文化が衰退したからで、理由はもちろん弥生文化の拡大で、この地にいた縄文人も、あるものは弥生人に追い出され、滅ぼされ、あるいは弥生人に吸収される形で終焉を迎えたことでしょう。
さて、この考古館のすぐそばに尖石遺跡があり、徒歩で行くことができます。
ここに、2500年ほど前まで縄文人が暮らしていたということになります。乗鞍岳、木曽御嶽山の山頂がわずかに見えます。縄文時代にはここは住みやすい場所だったのでしょう。
ちょうど桜が満開ですが、この桜の木から崖下に下りていくと、名前の由来となった尖石があります。
御柱が4本立っているのが、この地域らしいところです。
さて、次に御射鹿池に向かいます。
御射鹿池は、奥蓼科温泉郷へ向かう道沿い、明治温泉への入り口のすぐそばにあります。農業用のため池ですが、酸性で魚が住めないことから透明度が高く、美しい景色であることから、有名な絵画のモデル、テレビCM等で有名になったとのこと。
なるほど結構来る人は多く、道路には路駐禁止のパイロンが並び、広い駐車場も整備されています。
まだ新緑には早く、絵画のような景色にななりませんが、確かに美しい景色です。
さて、時刻はまだ14時くらいですが、夜中に運転して来て、早朝からいろいろ巡ったので、疲れました。早いですが、本日の宿に向かうことにします。
<その7に続く>
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