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楽しいこと、好きなことをのんびりと書いていきます。
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2013年8月11日 若狭、近江、尾張旅行 1日目(その3)

2013年08月18日 19時43分11秒 | 旅行

若狭に来るのは3回目ですが、久しぶりです。

調べてみると、前回は福井水害、敦賀の原発事故のあった年なので、2004年8月、9年前のことでした。そのときは豊岡~城崎温泉~丹後半島~天橋立~若狭というルートでしたが、一ヵ月後の台風で豊岡や由良川周辺が洪水で水浸しになるなど、災害の多い年でした。

 

 

まずは三方五湖。三方五湖は非常に景色の良いところで、また海に近いため海の幸、湖の幸が豊富な良い場所ですが、あまり観光地として開発されていないため、のんびりした雰囲気が感じられます。

そんな三方五湖観光の中心、三方五湖レークセンターにやってきました。一番東側の久々子湖畔にあります。

 

ここではこの地方の名産である鯖のへしこをはじめおみやげ物も豊富です。また、三方五湖のうちの4湖を巡る船が出ていますが前回乗っているのと、あまりにも暑いので今回は断念することにします。

 

次に向かったのは、レークセンターの近くにある「三宅彦右衛門酒造」。久々子湖と海の間の早瀬という古い集落の中にあり、「早瀬浦」を醸す酒蔵です。

 

 

若狭に来るのは3回目ですが、この蔵にくるのも3回目です。前回来た時には地元中心から全国展開を始めたころで売り出し中といった感じでしたが、今ではすっかり有名銘柄として定着した感じがあります。

 

 

風格のある建物で、入り口の前が舗装された以外9年前に来たときと変わっていません。

 

 

 

ここの特徴は、海に近いにもかかわらず敷地内の井戸水を使用していることで、ミネラル分が多いため独特の味わいになるというのは前回訪問時に教えていただいた話。

今回は専務さんがご在宅で、いろいろとお話を聞くことができました。基本は漁師町の酒だが、一番あうのは鯖のへしこ、というのがこの蔵の特徴を良くあらわしていると思います。

 

ここで購入したのは「早瀬浦 純米吟醸」。小瓶は、地元の民宿向けに出荷されているとのことです。料理の美味しい宿でも良い日本酒を置いていることは少ないので、うらやましいと同時に、全国展開をしながらも地元を基本にしている蔵元の姿勢が感じられます。

 

 

 

さて、そろそろお昼時なので昼食を食べに行くことにします。

途中、気山駅で数少ない小浜線の列車と遭遇しました。

 

 

向かったのは三方五湖の最南端、三方湖畔にある「うなぎ淡水」。三方五湖はうなぎの名産地でもあり、うなぎの名店が何件かあります。

 

 

店内の窓からは三方湖を眺めることができます。

 

 

 

 丁度空席のあるタイミングで入店できましたが、次々と来客がありすぐに満席となりました。

ここは注文してからしばらく時間がかかります。

 

 

うなぎ丼。関西風でパリッとした食感で、うなぎ独特の臭さも少なく非常に美味しいです。

 

 

 

昼食の後、さらに西に向かいます。

 

 

                                 <その4に続く>                       

 

 

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2013年8月11日 若狭、近江、尾張旅行 1日目(その2)

2013年08月18日 00時02分19秒 | 旅行

早朝の郡上八幡を後にして、途中大垣のクローバーコーヒーという店でモーニングを体験し、滋賀県へ。

長浜市の北部、高月町にある北近江リゾート北近江の湯にやってきました。

仮眠を取りながら夜通し走ってきたので、ここでひと風呂浴びてリフレッシュします。

 

ここの施設は大きくてきれいで、一昔前のゴルフ場のようです。料金は若干高めですが、この施設であればまあ納得できます。何よりも朝7時からやっているのが嬉しいところです。

温泉もお肌つるつる系でよいお湯なのですが、消毒が強いのが玉にキズ。このような施設で消毒はやむなしと思いますが、消毒が強いと湯上りにべとべとした感じが残るので、極力少なくしてもらいたいものです。

 

 

 

 温泉でリフレッシュしたので旅行を再開、北上し敦賀に向かいます。

敦賀は交通の要衝で、関西、東海方面から北陸へ向かうには必ず敦賀を通らなければなりません。しかも、深く入り込んだ湾の奥にあり、三方を山に囲まれた要害の地でもあります。

敦賀は古くから海外とつながりの強い都市であり、戦前はウラジオストクへの航路が運航され、これに接続する列車が敦賀まで運転されていました。

崇神天皇の時代に大陸からやってきた都怒我阿羅斯等が敦賀の地名の語源といわれており、古代から海外との交流があったことは間違いありません。

また、応神天皇は気比神宮の主祭神と名前を交換するという不思議な記述が古事記にあり、古代のヤマト王朝に対し大きな影響を持っていたものと思われます。

 

そんな気比神宮にも行ってみたかったのですが、屋外を歩いているだけで熱中症になりそうなほど記録的な暑さのため断念、旧敦賀港駅舎にやってきました。

 

 

 

 この建物は旧敦賀港駅舎を再現したもので、ものと場所にあるわけではないとのことです。中は敦賀鉄道資料館として無料で開放されており、過去~現在の北陸本線の歴史、走った車両の模型、 旧敦賀港エリアの模型等が展示してありなかなか見ごたえがあります。

 

 

このあたりは金ヶ崎緑地として整備されています。

 

 

 明らかに昔は線路があったことをしのばせる地形です。

背後の山は金ヶ崎城のあったあたりで、古くは新田義貞敗走の地、戦国時代には木下藤吉郎出世のきっかけとなったといわれる金ヶ崎の退き口の舞台となった場所です。

 

 

 

ここから西に向かい、いよいよ若狭に入ります。

 

                                    <その3につづく>

 

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