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2013年8月11日 若狭、近江、尾張旅行 1日目(その2)

2013年08月18日 00時02分19秒 | 旅行

早朝の郡上八幡を後にして、途中大垣のクローバーコーヒーという店でモーニングを体験し、滋賀県へ。

長浜市の北部、高月町にある北近江リゾート北近江の湯にやってきました。

仮眠を取りながら夜通し走ってきたので、ここでひと風呂浴びてリフレッシュします。

 

ここの施設は大きくてきれいで、一昔前のゴルフ場のようです。料金は若干高めですが、この施設であればまあ納得できます。何よりも朝7時からやっているのが嬉しいところです。

温泉もお肌つるつる系でよいお湯なのですが、消毒が強いのが玉にキズ。このような施設で消毒はやむなしと思いますが、消毒が強いと湯上りにべとべとした感じが残るので、極力少なくしてもらいたいものです。

 

 

 

 温泉でリフレッシュしたので旅行を再開、北上し敦賀に向かいます。

敦賀は交通の要衝で、関西、東海方面から北陸へ向かうには必ず敦賀を通らなければなりません。しかも、深く入り込んだ湾の奥にあり、三方を山に囲まれた要害の地でもあります。

敦賀は古くから海外とつながりの強い都市であり、戦前はウラジオストクへの航路が運航され、これに接続する列車が敦賀まで運転されていました。

崇神天皇の時代に大陸からやってきた都怒我阿羅斯等が敦賀の地名の語源といわれており、古代から海外との交流があったことは間違いありません。

また、応神天皇は気比神宮の主祭神と名前を交換するという不思議な記述が古事記にあり、古代のヤマト王朝に対し大きな影響を持っていたものと思われます。

 

そんな気比神宮にも行ってみたかったのですが、屋外を歩いているだけで熱中症になりそうなほど記録的な暑さのため断念、旧敦賀港駅舎にやってきました。

 

 

 

 この建物は旧敦賀港駅舎を再現したもので、ものと場所にあるわけではないとのことです。中は敦賀鉄道資料館として無料で開放されており、過去~現在の北陸本線の歴史、走った車両の模型、 旧敦賀港エリアの模型等が展示してありなかなか見ごたえがあります。

 

 

このあたりは金ヶ崎緑地として整備されています。

 

 

 明らかに昔は線路があったことをしのばせる地形です。

背後の山は金ヶ崎城のあったあたりで、古くは新田義貞敗走の地、戦国時代には木下藤吉郎出世のきっかけとなったといわれる金ヶ崎の退き口の舞台となった場所です。

 

 

 

ここから西に向かい、いよいよ若狭に入ります。

 

                                    <その3につづく>

 

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