
酪農学園関係と道立野幌高校のある西野幌の原始林を背にしたなだらかな丘陵地帯に、40年代に入り道立図書館、北海道女子短期大学(現北翔大学・短期大学部)が相次いで進出、この地がにわかに一大文教地区として脚光を浴び始めました。
昭和43年4月28日廃校となった札幌香蘭女子短期大学の第1回入学式が行われました。
校舎の位置は、北海道女子短期大学の南側、現在の札幌学院大学の第2グランド用地でした。
当日、入学したのは、英文科(定員100人)37人という、いささか寂しいものでしたが、これも草創期のひとつの試練であり、将来展望は決して暗いものではありませんでした。
鉄筋コンクリート3階建て、延べ3,200平方メートルの校舎の中に、施設としては全国で3番目、慶応大学、警視庁につぐ音声分析装置の他、実践的な英語教育のためのランゲジラボラトリー(54人分)や英文タイプライターを揃えた語学研究所を完備していました。
当初は英文科単一でスタートしましたが、ゆくゆくは貿易、仏文、国文の各科を併設、4年制大学で学生千人を収容する計画でのスタートでした。
青写真どおりことが運ぶなら、北海道女子短期大学と共に、この地に華やかな学園が並び立つことになり、それは市の期待でもありました。
ところが、『開学のための準備不足と経営の不手際』(昭和48年4月18日付北海道新聞)のため、たちまち経営難に陥り、ついに48年3月廃学となる思わぬ展開となりました。
しかも、文教地区である校舎跡地が数度転売され、酒造メーカー等の手を経て最終的には住友不動産株式会社の手に渡るという、意外な方向へと展開したのでした。
結局、48年9月、江別振興公社が住友不動産株式会社から当該跡地と校舎などを買収、やがて55年、それらを明和学園(札幌学院大学の経営母体)に8億円で売却することで、ようやく一連の問題に決着をみたのでした。
札幌香蘭女子短期大学は、この地区ではじめて進出後挫折した教育機関となったのです。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」307頁.
写真:昭和47年7月札幌香蘭女子短期大学
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