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江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

史跡元江別屯田公有地飛鳥山

2009年06月29日 | 歴史・文化
 野幌丘陵の最先端部には、いくつもの古砂丘が形成されてます。
これらの丘は、古くから町の人々に親しまれて荻ケ丘(神社山)・坊主山などと呼ばれていました。

 飛烏山もそうした丘の一つで、明治20年に屯田兵第三大隊長として江別に着任した野崎貞次少佐により名付けられたと言われています。

 かつてこの丘には、江別神社(現荻ケ岡)の前身であった飛烏山神社が建立され、その神社祭に草競馬や催物が行なわれていました。大正年間には、公園施設となり、町民の広場として親しまれてきました。
 
 昭和3年には、正式の馬場が設けられ、地方競馬が行なわれていましたが、昭和9年に元江別の方へ移り、戦時中は町民の空襲避難所や家庭菜園に変わっていきました。昭和25年からは、運動公園として整備が進められ、野球場・陸上競技場・テニスコート・青年センターなどの施設が造られました。
 現在、丘の上に江別屯田開村記念碑や伊東音次郎の歌碑などが建立され、花壇なども整備されて市民の憩いの場となっています。
(以上、史跡元江別屯田公有地「飛烏山」説明板<平成2年9月江別市教育委員会>より)

註:江別市教育委員会「史跡が語る江別の歩み」20頁.
写真:江別屯田開村記念碑(北海道江別市緑町西二丁目11飛烏山公園内)

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