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恵庭市の茂漁(もいざり)古墳群は、茂漁川左岸の段丘上にあり、もともとは数十基を数えたらしいですが、調査されたのは15基でした。
後藤・曽根原の報文によると、墳丘はやや楕円形で高さは30〜60cm、地平線下に長方形の墓壙をもち、副葬品として土器・刀・鑷子(ちょうし)・鉄斧・鐶(金属製の輪)・銙(革帯の飾りの金具)などが出土しています(後藤寿一・曽根原武保『胆振国千歳郡恵庭村の遺跡について」『考古学雑誌』24-2)。
江別古墳群と茂漁古墳群を比較してみると、形態・構造はまったく同じといってよいでしょう。
副葬品のうえでは、ともに蕨手刀・直刀(唐様刀)・鉄鎌が出土しています。
異なる点は、勾玉は江別のみ、鉄斧・鑷子(ちょうし)・錐・銙(か)は恵庭のみ出土していることです。
また、恵庭市内では、古墳との関係があると思われる和同開珎が発見されています。
調査報告のある古墳は以上の三箇所だけですが、河野はこの他、千歳市長都と、未確認としながらも苫小牧市字植苗に同様の形式の墳墓があったことを述べています。
この二箇所の実際の位置は不明ですが、前者は平成9(1997)年に北海道埋蔵文化財センターが調査した千歳市ユカンポシC15遺跡の付近に当たる可能性があります。
ユカンポシC15遺跡では、周溝のある墓が3基発見され、うちX-1号では墓壙が四箇所確認されました。
報告者によれば、二つが当初から墓で、残りの二つは追葬されたものだといいます。
また、側臥屈葬または伸展葬が考えられ、X-2号の墓壙には後藤遺跡15号墳主体部と同じく、木棺跡らしい溝状の掘り込みが確認されました。
副葬品は、土器・小刀・紡錘車が出土していますが全体に少なくない。
これらの周溝のある墓には、もともと紛糾はなかったようですが、規模・周溝・副葬品などからみても、江別や恵庭の古墳群と密接な関係がある遺構であることは間違いありません。
註 :江別市総務部「新江別市史」41-42頁.
写真:復元された江別古墳群
同上書40頁掲載写真1-12を複写し、掲載いたしております。
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