江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

自動車の登場

2009年03月05日 | 歴史・文化
 昭和2(1927)年、江別市で最初に自動車が現れました。

 昭和2(1927)年8月、江當軌道(当別市街ー江別・美原)の乗り合いバスが、軌道の三原駅(現美原、石狩大橋東袂)から国鉄江別駅間を一日二往復しました。

 昭和4(1929)年の春に、新篠津ー江別間、同年6月には、長沼ー江別間の乗り合いバスの運行が始まりました。
「近来地方開発ト自動車ノ発達著シク 交通非常ニ頻発ヲ極メ」(「江別町事務概要」昭和9年)とありますが、それでも昭和10年の江別在の自動車は、5台に過ぎませんでした。その他の交通手段については、オートバイ6台、自転車2千54台、荷馬車808台でした。
 自動車は、姿を見かけたら追いかけずにはいられない魅力あるものでした。

 昭和9(1934)年8月、往診途上の野村医師が石狩東袂で崖下に転落死したのが、江別における最初期の自動車事故といえます。自動車運転者江別支部が発足したのは、明治14(1939)年5月でした。
 当時は、新聞紙上に「自動車運転手合格」という見出しで、道庁保安課発表の免許試験合格者が掲載されました。なお、この自動車免許試験合格者は、まだ数える程の人数でした。

 支部発会の翌月、昭和14年6月26日から30日までの5日間、江別で最初の交通安全運動が行われました。
初日の26日は、午前6時に江別神社前に集合、祈願式が行われました。式後、オートバイとサイドカー4台で江別、当別、新篠津を巡回宣伝しました。
 また、期間中は、自動車、トラック、それに荷馬車にも交通安全の小旗を掲げました。加えて、市街の要所に宣伝幅を立てると共に、小学校などを会場に交通の心得の講演などが開催されました。

註:江別市総務部「新江別市史」441-442頁.
写真:2005年ドイツポルシェ取材の際、ポルシェミュージアム内にて撮影<MARTINI PORSHE>

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