江別創造舎

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JR駅の拡充~高砂駅開設など 1

2015年02月11日 | 歴史・文化

 南北の時代の到来を鮮烈に印象づけたのは、昭和61年国鉄野幌駅南口の開業であり、62年の同大麻(おおあさ)駅南口でした。

その両駅南口の開業にふれる前に、61年11月、市内5番目の国鉄駅として開業した高砂駅についてふれていきます。

 昭和61年11月1日開業の高砂駅は、江別駅から1,8km野幌駅より、6丁目踏切付近に上下線それぞれ130mのプラットホームを設けただけの無人駅としてスタートしました。
道立江別高校、市役所へ至近の距離にあり、かつ周辺の宅地開発を見込み、利用者の拡大をねらう当時の国鉄が、約5千万円をかけて建設したものです。

 乗車時は、プラットホームに設置された機械から乗車証明書を取り、降りた駅で精算、降車時は列車の車掌が改札します。
特急、急行は停車しませんが、平均20分間隔の普通列車は全て停車するため、通勤、通学などの利便は一気に増しました。

 同駅の開業は、国鉄道総局の札幌圏を東京の国電並みにしようとする札幌圏新駅開設構想のひとつとして、函館本年の札幌~星置間、発寒中央、穂積公園、稲穂、千歳線の平和、札沼線の新川、太平、あいの里教育大とともに新設されました。
当初、市民には、寝耳の水の話でしたが、この時期、道内でも次々とローカル線が消えていった事情を思うと、札幌圏ならではのおいしい話でもありました。

 野幌駅南口の開業は、61年12月23日、高砂駅が国鉄の意向で一気に実現したのとは異なり、数年前から野幌駅南口駅舎建設期成会など地域住民を中心とした地道な運動が反復展開されていました。
曰く、駅の橋上化であり、南口の開設です。
その背景には、既にふれた野幌鉄南地区の宅地開発の進行による人口急増がありました。
これは、文京台地区を掲げる大麻(おおあさ)駅の事情と同じといえます。


註:江別市総務部「えべつ昭和史」661-662頁.
写真:江別市内5番目に開設したJR高砂駅
 同上書662頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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