昭和32年8月、五島の約束とおり、東急から馬渕常務、田中常務らの現地調査団(5人)が来道、電鉄計画沿線を精力的に見てまわりました。
そして、離道に際し、実現有望の嬉しいコメントを残しました。
一方、受け入れ側の関係市町村は衆議し、札幌急行鉄道建設期成会を結成し、名誉会長に高田札幌市長、会長に大久保道議、副会長に古田島江別市長ほか岩見沢、夕張の各市長が名を連ね、万全の体制を整えたのです。
9月初旬、再び五島が来道しました。
札幌急行鉄道建設の意思表明のためでした。
五島が食指を動かしてからわずか3ヶ月、まさにトントン拍子の決定となりました。
しかし、好事魔多し、とか。
ここで予期せぬ事態が出来しました。
それは、伊豆電鉄のトンネル工事が難航し、工費は当初計画の80数億円の倍近くに膨れ上がったことです。
そのため、東急幹部の中から、まだ着工前の札幌の方の建設は、思いとどまるべし、の声が上がりました。
その意味では、五島の健康こそが成否の鍵でしたが、持病の糖尿病が当時76歳の老体を密かに蝕んでいたのです。
註 :江別市総務部「えべつ昭和史」844頁.
写真:札幌急行鉄道路線図
同上書843頁掲載図を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。
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