昭和37年8月20日、市内選教寺において、約900人の被災農民らが集まり、江別地区被災農民総決起大会が開催されました。
水害10地区の代表者が次々に立ち、「常襲水害地域農民の訴え」と治水対策についての要望報告がなされました。
そして、次の大会決議を採決しました。
決議(抄)
(石狩川は)本道開発の「母なる河」の役割を果たしているが、その反面治水計画は、これに併行せず、まだ原始河川の域を脱していない。
就中、江別地区を終点とする中流地区は同水系主要支川の合流する最重要地点にも関わらず、計画施行に徹底を欠き、荏苒(じんぜん)長年月を費やして尚完成箇所殆どなく、連年の促進陳情も効果少なく、最悪不備の状態にあることは何人も否み得ず、これが要因となって豊幌、角山、野幌等左岸地区の被害を激甚ならしめ、さらに右岸に目を転ずれば篠津地区開発の大宗をためす運河水系は、主目的たる開田に急なるあまり利水怠って治水知らず、水防計画は無きに等しく昨年の災害直後、地元関係住民の切実なる要望を軽視し、復旧改良に誠意を示さず、今また災いを繰り返した当事者の責任は、われわれ鼓を鳴らしてこれを追求するものでした。(後略)
昭和37年8月20日
(二カ年連続才学江別地区被災農民総決起大会)
決議は、激憤の文言に埋め尽くされ、国、道、市および関係機関に(1)治水計画の積極的促進、(2)経済復興対策の推進、を求めました。
大会終了後、参加者全員が抗議の市内後進をしましたが、町を行く足取り重い農民の顔は、深い疲労と怒りと、そして憂愁に覆われていました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」235-236頁.
写真:自衛隊鉄舟(飲料水配給に出勤)
同上書231頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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