
団地の開発が進み、大麻(おおあさ)地区の人口は加速度的に増加しました。
大麻(おおあさ)地区の土地お大部分は、昭和14(1939)年に長年の努力により小作地を解放させた農地でした。
重い歴史的背景をもつ農耕地であり、かつ南北に走る三つの沢と、うっ蒼とした樹林と水田と畠をもつ田園風景でした。それが、道内有数の住宅団地に生まれ変わりました。
昭和41(1966)年12月15日、国鉄大麻(おおあさ)駅が開業しました。駅の設置については、これまでも周辺住民や酪農学園関係者等の要望がありましたが、団地誕生により一気に具体化しました。
昭和40(1965)年9月、札幌鉄道管理局は道に対し、次の条件を出し新駅の設置要望に回答しました。
1.駅設置に要する工事費が概算額は、4,200万円で、道が負担すること
2.駅前広場は、道において造成すること
3.線路南側地域に対しては、跨線人道橋により連絡することとし、裏口駅設置等の要請は行なわないこと
道においても異存はなく、昭和41年7月には建設工事が開始され、予定どおり開業の日を迎えました。開業時の運行状況は、札幌方面7本、岩見沢方面8本、札幌までの運賃は60円でした。
駅前広場は道において工事費1,660万円で施工、昭和43年10月の完成と同時に、市(3,063平方メートル)と国鉄(1,200平方メートル)に引き継がれました。
昭和40年代の市内国鉄3駅の利用状況は、江別、野幌領駅とも微増であるのに対し、大麻駅の伸びが顕著でした。団地誕生10年目の昭和49年現在、人口は市内の28.2%と約四分の一に過ぎませんでしたが、乗降客数では全体の半数近く、47%を占めました。この一事だけでも大麻団地の性格が鮮明となりました。同時に、団地住民にとっていかに駅の存在が重大事であったかが分かります。
駅の設置に並行して急がれたのが大麻団地と国道12号線を結ぶ連絡道路でした。まだ駅前に高層マンションがなかった頃、大麻団地は鉄道防風林に遮られ、国道からは姿が見えませんでした。しかもその初期には、閑静な住宅街を目指したこともあり、連絡道路もありませんでした。しかし、自家用車の普及や大学や研究機関の集積が進み、加えて宅地開発の進行に伴って、後の文京台方面への連絡道路は不可欠なものとなっていきました。
連絡道路は、昭和41年4月から工事が行なわれ、翌年11月、現在の大麻中央公園の西端から地下道で鉄道と国道12号線をくぐり、道立図書館前を迂回して国道と連絡する道が完成しました。同時に、この地下道で分断される形となりました大麻高町方面と駅を結ぶつつみ橋も完成、これにより団地内の生活道路の整備は格段に進みました。
(参考)
当ブログ2009年 1月31日(土)「宅地開発ー大麻団地の起工」
当ブログ2009年 1月 7日(水)「野幌煉瓦工場」
当ブログ2009年 1月 6日(火)「北海道製麻会社創立」
当ブログ2008年12月 8日(月)「江別市の学校と国民学校制度2」
当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
当ブログ2008年12月 4日(木)「江別の商業」
当ブログ2008年11月24日(月)「行政の変遷ー戸長行政」
当ブログ2008年11月21日(金)「北海道自治制のはじまり」
当ブログ2008年11月19日(水)「北海道地主制のはじまり」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月24日(金)「旅館と飲食店」
当ブログ2008年 9月26日(金)「四つの映画館」
当ブログ2008年 9月25日(木)「富士見座」
当ブログ2008年 9月24日(水)「千歳座」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 7月 2日(火)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 6月22日(月)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
註:江別市総務部「新江別市史」569-571頁.
写真:北海道江別市大麻駅
大麻(おおあさ)地区の土地お大部分は、昭和14(1939)年に長年の努力により小作地を解放させた農地でした。
重い歴史的背景をもつ農耕地であり、かつ南北に走る三つの沢と、うっ蒼とした樹林と水田と畠をもつ田園風景でした。それが、道内有数の住宅団地に生まれ変わりました。
昭和41(1966)年12月15日、国鉄大麻(おおあさ)駅が開業しました。駅の設置については、これまでも周辺住民や酪農学園関係者等の要望がありましたが、団地誕生により一気に具体化しました。
昭和40(1965)年9月、札幌鉄道管理局は道に対し、次の条件を出し新駅の設置要望に回答しました。
1.駅設置に要する工事費が概算額は、4,200万円で、道が負担すること
2.駅前広場は、道において造成すること
3.線路南側地域に対しては、跨線人道橋により連絡することとし、裏口駅設置等の要請は行なわないこと
道においても異存はなく、昭和41年7月には建設工事が開始され、予定どおり開業の日を迎えました。開業時の運行状況は、札幌方面7本、岩見沢方面8本、札幌までの運賃は60円でした。
駅前広場は道において工事費1,660万円で施工、昭和43年10月の完成と同時に、市(3,063平方メートル)と国鉄(1,200平方メートル)に引き継がれました。
昭和40年代の市内国鉄3駅の利用状況は、江別、野幌領駅とも微増であるのに対し、大麻駅の伸びが顕著でした。団地誕生10年目の昭和49年現在、人口は市内の28.2%と約四分の一に過ぎませんでしたが、乗降客数では全体の半数近く、47%を占めました。この一事だけでも大麻団地の性格が鮮明となりました。同時に、団地住民にとっていかに駅の存在が重大事であったかが分かります。
駅の設置に並行して急がれたのが大麻団地と国道12号線を結ぶ連絡道路でした。まだ駅前に高層マンションがなかった頃、大麻団地は鉄道防風林に遮られ、国道からは姿が見えませんでした。しかもその初期には、閑静な住宅街を目指したこともあり、連絡道路もありませんでした。しかし、自家用車の普及や大学や研究機関の集積が進み、加えて宅地開発の進行に伴って、後の文京台方面への連絡道路は不可欠なものとなっていきました。
連絡道路は、昭和41年4月から工事が行なわれ、翌年11月、現在の大麻中央公園の西端から地下道で鉄道と国道12号線をくぐり、道立図書館前を迂回して国道と連絡する道が完成しました。同時に、この地下道で分断される形となりました大麻高町方面と駅を結ぶつつみ橋も完成、これにより団地内の生活道路の整備は格段に進みました。
(参考)
当ブログ2009年 1月31日(土)「宅地開発ー大麻団地の起工」
当ブログ2009年 1月 7日(水)「野幌煉瓦工場」
当ブログ2009年 1月 6日(火)「北海道製麻会社創立」
当ブログ2008年12月 8日(月)「江別市の学校と国民学校制度2」
当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
当ブログ2008年12月 4日(木)「江別の商業」
当ブログ2008年11月24日(月)「行政の変遷ー戸長行政」
当ブログ2008年11月21日(金)「北海道自治制のはじまり」
当ブログ2008年11月19日(水)「北海道地主制のはじまり」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月24日(金)「旅館と飲食店」
当ブログ2008年 9月26日(金)「四つの映画館」
当ブログ2008年 9月25日(木)「富士見座」
当ブログ2008年 9月24日(水)「千歳座」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 7月 2日(火)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 6月22日(月)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
註:江別市総務部「新江別市史」569-571頁.
写真:北海道江別市大麻駅
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